■ 共生の言葉」考/黒川紀章氏の造語ではない ■

渡久地(Toguchi)「共生という言葉」考・2001-6-11
「共生という言葉」考・資料を中心として・

共生という言葉が流行して久しい。俗耳に入り易い言葉なので行政や政治家などが頻繁に使用している。最近では広告用語にもなっている。わたしもあまり気にしないで使用してきたが、3年前、高名な建築家黒川紀章氏が講演会で「共生の言葉は40年前に私がつくった造語です」を聞いてから気になった(写真は講演中の黒川紀章氏・渡久地政司撮影)。が、多忙のため調査せずにきた。今年になり時間に余裕ができたので共生の言葉について調べてみた。結論からいって@黒川氏の造語ではないA黒川氏の発言・記述には問題がある、ことがわかった。そして、わたし自身の共生という言葉の理解・《人間と自然との共存を共生という》は曖昧で、かつ問題・誤りであることもわかった。言葉は正確に使用すべきだ、と痛感したのでここに「共生という言葉」考として整理しまとめてみた。ご批判を得たい。

1: 黒川紀章氏の発言と記述の検討
1999年夏、首都機能移転をテーマにした講演会が豊田市の名鉄トヨタホテルで開催された。講師の一人であった建築家黒川紀章氏が「…共生の言葉は私が40年前につくった私の造語です」といった。黒川氏はこの年の暮れ毎日新聞の座談会でも同じ発言をしていた。わたしは、「造語です」が気になった。というのは、ひとつは「共生」という言葉をわたしが最初に知ったのは、1950年中ごろ、高校の生物の授業であったこと。ふたつは作家の小田 実著「共生への原理」(1978年・筑摩書房)を読んでいたこと。そしてわたしは、「共生」が仏教用語であろう、と勝手に解釈し、《人間と自然の共存を共生という》として使用していたからだ。詳細は後で記述するが、わたしの理解は、実は誤りである。

次に黒川氏の「共生」について資料1〜3までを検討する。

資料1 : 愛知万博への黒川試案・10.25.99・(ホームページから抜粋)
提案1:共生の思想を世界へ提言する
ーー機械の原理時代から生命の原理の時代へーー
イ)私(黒川紀章)は1959年に時代は機械の時代から生命へ移行する(パラダイム)と予言した。 工業化社会、物質文明、大量生産、普遍性(均質性)、人間中心主義、覇権主義、理性(科学・技術・経済)中心主義が重視された時代には、理性が持つ最高の種としての人間が自然を征服しコントロールするのは当然と考えられた。そして、西洋の文化は世界最高のものと考えられ、西欧の文化に近ずくことを進歩であり近代化と考えた。明治以降の日本は、まさにこのような意味での近代化の道一筋に現在まで歩んできた。
今、時代は確実に変化しつつある。情報化社会、精神文化、多様性、個性、人間と自然の共生、人間と他の種との共生、文化のアイデンティティ、異質文化の共生、理性と感性(芸術・文化・創造性)の共生が重視される時代への移行である
。 共生の時代には、人間が自然をコントロールするのではなく、人間が自然に手を貸すことによって自然と共生すると同時に自然の慧知からも学ぶことによって自然と共生するというアジアの思想(共生の思想)も世界的に意味をもつものである。
それを私は西欧中心主義の時代、合理的二元論の時代から、共生の時代への移行と捉えて、40年前に共生という言葉をつくり、「共生の思想」(徳間書店)を出版した。「共生」の概念と同時に、私は「新陳代謝」、「リサイクル」、「エコロジー]、「情報」という概念をこの40年間絶えず提唱してきた。これらはすべて生命の原理のもっとも重要なキーワードである。
−以下省略ー(太文字は引用者)
太文字のところを抜書きして箇条書きにする。

1−@人間と自然の共生
1−A人間が自然に手を貸すことによって自然と共生する
1−B自然と共生するというアジアの思想
1−C40年前に共生という言葉をつくり

この4つについて、次に引用する2つの資料を掲載した後でまとめて検討する。

資料2: 黒川紀章著「共生の思想」第2版(1987年第1刷)徳間書店

エピローグから抜粋する。
…私(黒川紀章)は、中学・高校時代を名古屋市の東海学園に学んだが、この学校は浄土宗系の学校で、江戸時代に創立され、現在でも教師の大半は住職で占められている。当時の学園長は東京・芝増上寺の管長、椎尾弁匡先生で、この椎尾先生の仏教講話を聞きながら過ごした六年間が、私の思想形成に大きな影響を与えている。そして、最近になって、「共生」という言葉が椎尾先生によって、大正十二年に作られたものだと知った。
椎尾先生は、「財団法人共生会」というものを作られて活動され、『共生法句集』、『共生教本』といった著書をまとめておられる。その中で 「私どもは共存の実義を体して、共生浄土の成就を念ずる者、利鈍も強弱も相携そう考えです。世の中のものは、すべて周囲との考えを離れて存しない。一切は、衆縁によって生ずるものである。万物は相関連して成り立っているものである。私どもはこの原理にのっとって、一歩一歩と理想世界を建設していきたいと思う。」
と述べている。これこそ共生の真義であろう。
椎尾先生の共生仏教、先生は共生(ともいき)と読んでおられるが、その考え方の基本は、世の中には、人間も、植物も、動物も、そして鉱物のような無機物である。そのすべてが、生きていくと同時に、生かされていくものだと考えることにある。
無機物にもミネラルのように人間にとって重要なものがあり、そのどれ一つが欠けても、人間は生きていくことができない。人間は、動物、植物、無機物のすべてと共生(ともいき)することによって生き、生かされていくものである。そのような仏教本来の生き方を、椎尾先生は「真正(しんしょう)」と呼んでいる。…(以下省略)
昭和62年秋著者(黒川紀章)

(太文字は引用者がつけた)

次に太文字部分を箇条書きにする。
2−@ 「共生]という言葉が椎尾先生によって、大正十二年に作られた。
2−A万物は相関連して成り立っている。
2−B世の中には、人間も、植物も、動物も、そして鉱物のような無機物である。

資料3: 黒川紀章著「新・共生の思想」・1991年版

まえがきから抜粋する。

…そもそも「共生」という言葉は、仏教の「ともいき」と生物学の「共棲(きょうせい)」を重ねて私がつくった概念である。しかし必ずしもそれを新しい概念としてでなく、都合のよい流行語として使われることも多い。…また、生物学でいう共棲(共生)と解釈が違うという抗議もある。「共生の思想」は三十五年前から提唱してきた思想であり、あらゆる分野を巻き込んで21世紀の新しい秩序になると…むろん生物学でいう共棲(共生)と同じではない。…そのために共生の定義、概念規定を明確にすべきだとの批判もある。まだ新しい概念や思想を創っていく過程にあるのだから共生の定義や概念規定を辞典に載せるようなかたちで明確化するには、まだ早いという実感である。…(以下省略)
(太文字は引用者がつけた)

次に太文字部分を箇条書きにする。

3−@・A「共生」という言葉は、…私がつくった概念である。
3−B 都合のよい流行語として使われることも多い。
3−C辞典に載せる

以下、資料1〜3を検討する。
T
まず、《「共生」という言葉を40年前に私(黒川紀章)が作った造語です。》について検討する。

この発言を、わたし(渡久地)は講演会で間違いなく聞いた。そして、黒川氏の「愛知万博への試案」(1999年10月25日)においても(資料1−C)間違いなく記述している。ところが、この試案より8年前の1991年出版の黒川紀章著「新・共生の思想」のまえがきくには、次のように記述しているる。「…「共生」という言葉は、…私のつくった概念である。」(資料3-@。A)。「造語」と「概念」とは決定的に異なる。8年前に自分の著書のまえがきで、「私のつくった概念である」といっておりながら、そのことを伏せて、「造語です」となぜ言うのだろう。理解し難い。 更に、黒川紀章著「共生の思想」第2版(1987年第1刷)のエピローグでは、…最近になって、「共生」という言葉が椎尾先生によって大正十二年…作られた、ことを知った…(資料2-A)を検討する。 この本の出版が1987年であるので、「最近」というのは、大目にみても1980年代であろう。それ以前は、黒川氏は、「共生」の言葉を椎尾先生がつくったことを知らなかったようだ。この間、黒川氏は「共生」という言葉は、自分の造語と本気に思っていたのかも知れない。そして、椎尾先生の存在を1980年代に知ったにもかかわらず、1999年夏、豊田市での講演、秋の愛知万博試案では、「共生という言葉は私(黒川紀章)の造語です」、と平然と述べているのである。一体、どのような神経を所有しているのであろうか。
3-B都合のよい流行語として使われることも多い、について。
他人ごとのように言っているが、都合のよい流行語として使っているのは黒川氏自身ではないだろうか。
3-C辞典に載せる、について。
後に「辞書でみる」で記述するが、黒川式概念を採用しない辞書側の方が正しい。しかし、誤りでも既成事実化すると通用するようになる。

U
次に資料2-@・A・Bについて検討する。
「共生」の言葉は、椎尾先生が大正十二年に作った(資料2-@)、について。
椎尾先生自ら自分が作った、とお書きになっているのかどうか。後で記述するが、同じ大正十二年に作家有島武郎が開放した農場の名称が「狩太共生農団信用利用組合」となっている。また、中国で漢語となった古いお経にも「共生」の言葉が存在している。椎尾先生は大正十二年に「ともいき」運動を提唱した、のは確かだが、言葉を作ったのではない、と思う。
万物は相関連して成り立っている(資料2-A)と世の中には、人間も、植物も、動物も、そして鉱物のような無機物である(資料2-B)について。
資料2-Aは、椎尾先生の言葉のようだ。仏教の知識の少ないわたしでも理解でき、そのとおりだ、と思う。しかし、資料2-Bは、黒川氏が椎尾先生の考えの基本としてまとめられた《人間も…そして鉱物のような無機物である》は、わたしにはよくわからない。宇宙や地球のすべての物質の素は原子で成り立っている、と物質の説明では正しいだろうが、人間の心も自然界の石も無機物である、と聞こえてくるような黒川氏のまとめは理解し難い。椎尾先生が黒川氏のまとめのような記述をしているとしたら、かなり限定して使用しているように思える。黒川氏には、論理の飛躍か歪曲があるように思える。
B資料1〜3までを検討したうえで、わたしのコメント(感じたこと)を述べる。
黒川氏は建築・行政・政治・放送等の社会(分野)でしっかりした基盤を築き、そこで活躍し、名声を得ている建築家、というのがわたしの黒川氏像である。豊田市が大型プロジェクト@豊田大橋 A豊田スタジアムの設計・監督を、設計コンペや競争入札でなく、美術品を購入するように、黒川氏に随意契約したのは、黒川氏の「社会的名声」(政治力という人もいるが)があったからだ、とわたしは思っている。黒川氏の「社会的名声」の根幹をなしている考えが黒川氏が提唱している「共生の思想」と言ってもよいだろう。この「共生の思想」の最も強烈にアッピールできる行為が「共生の言葉はわたしがつくった造語です」となっているのではないだろうか。「共生の概念を提唱した」では、弱い。黒川氏は、マスコミや講演会などでは、意識的に「造語」発言をしているように思われる。建築で勝負せずに、ハッタリで「社会的名声」を維持しているようにしか思えてならない。
W黒川氏の「共生」の概念について。
黒川紀章著「新・共生の思想」のまえがきから引用する。

…共生の概念もまた、人間と自然との共生、芸術と科学の共生、理性と感性の共生、伝統と先端技術の共生、地域と世界性の共生、歴史と未来の共生、世代の共生、都市と農村の共生、海と森の共生、抽象と象徴の共生、部分と全体の共生、身体と精神の共生、保守と革新の共生、開発と保存の共生等あらゆる次元での共生を考察対象としている。
…まだ新しい概念や思想を創っていく過程にあるのだから共生の定義や概念規定を辞書に載せるようなかたちで明確化するには、まだ、早いという実感もある。しかし、これまでの共生の思想の研究と展開の過程のなかから調和・共存・妥協といった類似語との違いを述べれば、
●共生とは対立、矛盾を含みつつ競争、緊張の中から生れる新しい創造的関係をいう。
●共生とはお互いに対立しながらも、お互いを必要とし、理解しようとするポジティブな関係をいう。
●共生とは、いずれ片方だけでは不可能であった新しい創造を可能とする関係をいう。
●共生とは、お互いのもつ個性や聖域を尊重しつつ、お互いの共通項を拡げようとする関係である。
●共生とは、与え・与えられる大きな生命系のなかに自ら存在を位置付けるものである。

黒川氏の「共生の思想」がどのようなものか、この引用部分を読めば明らかである。即ち、支離滅裂としか言いようがない。

2:共生を辞書で調べてみると…。
以上、黒川紀章氏の「共生」の言葉使用例などを検討してきた。ここからは共生の言葉をまず辞書で調べ、そのうえで使用例を検討し、本来の使用のあり方について考えてみたい。

日本語辞書ではどうか。
●「広辞苑」…共生・共棲…@ともに所を同じくして生活することA(生)異種の生物が行動的・生理的な結びつきをもち、一所に生活をしている状態。共利共生…片利共生…。
●「知恵蔵」(1998年版)…双利・片利共生…。
●「大漢和辞典」…在る生物が異種の生物と互いに助け合って生活すること。
●「字通」…(語彙欄に記載があるが、なぜか意味・説明欄に記載がない。)
●「日本国語辞典」(角川書店)…一つの所に分け合っていっしょに住むこと。

中国語ではどうか。
●「中国語大辞典」(角川書店)…相利共生・共生動物・共生関係・共生生物・共生水・共生体・共生鉱…

英語ではどうか。
●「小学館ランダムハウス共和大辞典」… symbiosis
1[生物]共生@2種の異なる生物が一緒に生活すること…共利共生、片利共生、片害共生、寄生A《もと》mutualism
4[精神医学]共生関係:2人の人間が互いに頼り、はげまし合う関係:有益の場合も有害の場合もある
5[精神分析]強制関係:幼児が身体的にも情緒的にも母親に依存しているような母子の関係
6(一般的に)(人間・集団相互の)共益[協力]関係
生物学辞典ではどうか。
●「ヘンダーソン生物学用語事典」(オーム社出版局)
sym/synギリシャ語のsyn(ともに)に由来する接頭語
symbiont共生生物、共生におけるパートナーの一方
symbiosis共生、一緒に生活している異種なる二種の生物の密接で通常は必須の関係であるが、それらの生物の双方がともに利益を得ているわけではない。しかし、両者が利益を得る関係だけをしばしば共生というが、それより正確には相利共生と呼ばれる。a.symbtotic

3:「共生」の1950年以前の使用例
次にわたし(渡久地)が知りえた「共生」の古い(1950年以前)使用例を記載する。

@)
『…軍官民共生共死の一体化…』ーー1944年1月1日、日本帝国陸軍球1616部隊資料・「報道宣伝防諜ニ関スル県民指導要綱」』

今、「共生」という言葉は、プラス感覚で使用されているが、こんな恐ろしい使用もなされていたのだ。
A)
「日本国語辞典」(角川書店)では、一つの所に分け合っていっしょに住むこと。
使用例として、寺田 寅彦著「丸善と三越」から引用している。…洋品部が丸善に寄生或いは共生して居るかといふ…。

今、わたし(渡久地)は「丸善と三越」が発表された年月日を調査中です。

B)作家有島武郎が大正12年(1922年)に自分の所有していた農地を開放し、翌13年に農民たちは、「狩太共生農団信用利用組合」を結成した。この「狩太共生」の使用の年が黒川紀章著「共生の思想」のエピローグにある《…椎尾先生が共生の言葉を大正12年に作られた》(資料2-A)とほぼ同時期である。どちらが先か、双方が影響し合ったか、独立して共生の言葉を使用したか、については、今のところわからない。また、「共生」を「ともいき」と読んだか、「ともに生きる」を縮小して使用したかもわからない。わたし(渡久地)が北海道ニセコ町の有島武郎記念館に「狩太共生」の読み方について問い合わせたところ、学芸員から次のようなご返事を得た。以前から「共生」は「きょうせい」と読んでいた。「ともいき」とはよんでいない。「狩太共生」の命名者は、有島であろう、と皆が思ってきたが、その裏づけとなる資料はない。

C)浄土宗の法事で拝借したお経の冊子に、題が「四弘誓願」となっている経文の最後の一行に《共生極楽成仏道》(共に極楽に生じて仏道を成ぜん/ともにごくらくにしょうじてぶつどうをじょうぜん)があった。この「共生」には「ぐしょう」とルビがふられていた(右の写真参照)。このお経について浄土宗の関係者にお聞きしたところ、「お釈迦様のお言葉を中国で漢字にしたもので、年代は調べなければわからないが、古い時代であることは間違いない」とのことであった。椎尾先生は、「ともいき運動」を提唱推進なさったが、「この言葉を作った」とは言っていないのではないだろうか。

D)「沖縄学の父」伊波普猷(1876-1947)に名著「古琉球」があります。初版は明治44年(1911)12月。この本には44の文章・論文・講演録などが収められています。この中の「琉球史の趨勢」(明治40年8月1日、沖縄教育会にての講演、「沖縄新聞所載」・昭和17年7月改稿)があり、この中に次の文章があります。
…ところがこの琉球民族という迷児は二千年の間、支那海中の島嶼彷徨していたにもかかわらず、アイヌや生蛮みたように、ピープルとして存在しないでネーションとして共生したのでございます。… 昭和17年7月改稿とあるので、初版本で確認する必要があるが、明治40年に伊波普猷が共生という言葉を使用していた事実に注目したい。当時、伊波は進化論などに興味を抱いていたので、生物用語として共生という言葉を知っていた可能性が大である。

E)東郷実「植民地政策上の共生主義を論ず」(1911年・明治44年・「台湾時報」24号)があることを小熊英二著「日本人の境界」で知った。次に肝心な部分を引用する。 …そして東郷は、その翌月の『台湾時報』では「植民地政策上の共生主義を論ず」と題し、アリが「弱者たるアブラムシ」を保護する一方でその甘い分泌液を得るように、植民地では「土人社会に最も好適せる種類及程度」の教育だけを施し、伝統的慣習を尊重しながら経済的利益をあげる「母国人及土人間の共生主義」を主張した。この評論では、後藤新平の「植民政策の根本は生物学に在り」が引用されている。新渡戸とおなじ札幌農学校で農政学を専攻した東郷にとって、生物学の比喩はなじみやすかったのだろう。
…とある。明治末期、生物学用語の共生を社会評論として使用することは、かなり普及していたとみてよいだろう。

4:「共生」の最近の使用例
その1・「共に生きる」の略語が共生

1995年1月15日(金)の全国紙に、兵庫県広報の全面広告が掲載された。内容を簡単に紹介すると、20世紀初頭にフランスがアメリカに「自由の女神像」を贈呈した。21世紀初頭、フランスが日本の兵庫県淡路島に「共生の像」(建造物)を贈呈する、というものであった。

広告の紙面には大きな文字で
20世紀のコンセプトが「自由」とするなら、
21世紀のコンセプトは「共生」です。
とあり、
[共に生きる思想を世界に]

…「自由の女神」のテーマが20世紀を象徴する「自由」であったのにたいし、今回のモニュメントのテーマは、コミュニケーション、経済、政治、芸術、文化など様々な領域で地球規模の交流ーコミュニケーションを深め、世界中の人々が互いに助け合い、゛共に生きる゛ことをめざす゛共生゛の理念こそ21世紀の最重要課題だと思います。…

「共に生きる」の略語として「共生」を使用している。行政・地方自治体の綜合計画やイメージ・スローガンに使用されているのは、大半がこの例である。 この全面広告が掲載された翌々日に阪神・淡路大地震が発生し、この一大モニュメント建設計画は瓦解してしまった。

その2・人と寄生虫の共生
NHK人間講座゛きれい社会の落とし穴ーー人と寄生虫の共生ーー゛藤田紘一郎著は、共生の言葉を正しく使用している数少ない一つである。同書のまえがきから抜粋する。
…日本人は古来、回虫と「共生」してきたのだった。…この回虫の感染率の低下に逆比例して、…アトピー性皮膚炎、気管支喘息、花粉症などアレルギー性疾患…回虫を対外に排出した日本人は、次いで自分を守ってくれている「共生菌」まで排除することになった。こうして日本人は「超清潔志向」の民族となってしまったのだ。共生菌の排除が新しい感染症O157を生み、それに犠牲になる日本人を生んだ。…
人間と回虫や微生物などとの共生関係を分かり易く解説してある。

その3・「人間と自然との共存を共生」という。
この使用例はきわめて多いので列挙せず、すぐにわたし(渡久地)のコメントを書く。
「人間と自然との共存を共生という」と規定する、といえば、正しいことをいっているように思える。俗耳には快く響く。だから政治家、行政は好んで使用する。行政の綜合計画やイメージ・スローガンには、「共に生きる」と同じように頻繁に使用されている。実はわたし自身もこのような意味であろう、と勝手に解釈して使用していた。
どこが問題なのか。まず事実をよく考えてみよう。人間と自然は共存の関係にはない。人間は、自然の一部に生存させてもらっている、が正しい。人間は動物や植物等の命を奪い・収奪することによってでしか生きることができない存在なのだ。言い換えれば、植物の米や胡麻やあわなどの一粒も生き物だ。動物の豚や鶏、そして小魚のじゃこなども生き物だ。それらの沢山の命を奪うことによってでしか生きることができない存在なのだ。人間とはそんな存在なのだ、との認識のもとで、では動物や植物そして広い意味の自然とどのように対応したらよいか、を謙虚に考えよう、というのが昨今の自然観ではないのだろうか。「人間と自然との共存」は、一時代前の「万物の霊長・人間」観の姿を換えた傲慢な「考え」のように思えてならない。
「人間と自然との共存を共生と言う」と規定した辞書は今のところない。辞書・言語学の「社会」が認知していないことは、正しいし良心的だ。しかし、俗字でも大衆化すれば採用されてしまう。いつまでもつか、心もとない。

5:建築家や研究者に聞いてみました。
その1・建築家・女性
(要旨)私個人としては心当たりがないので建築関係の知り合いに聞いてみました。…個人的な意見でしかありませんが、黒川氏は、世の中一般には(万博アドバイザーになるくらいだから)評価されているようですが、私の周りには否定的な意見が多くありました。どうしてあの人が評価されるのかわからない、だとか。名古屋市美術館(黒川紀章設計)は、機能的にもデザイン的にも全然良くない!豊田市美術館を設計した人が設計したらよかったのに…などと言う具合です。
自然との「共生」と言う言葉についてですが、もともと「共生」という言葉もあったし、黒川氏が述べているような意味ももともとあったもので、黒川氏が初めてそれを建築の世界に結びつけたということなんだと思います。黒川氏が言っている内容は、「共生」の意味から外れたことではないでしょうか。そう思います。どういうニュアンスで自分が造った言葉だと言っているのかわかりませんが…、私はそう思いました。

その2・大学教授(建築)・男性
(要旨)…黒川紀章については、建築を勉強しはじめた20歳頃(約35年前)、雑誌等で知りました。当時は銀座のカブセルハウスで話題をあつめていました。東大の丹下健三の弟子で、マスコミへの売り込みが上手だ、と言うことが後で分かりました。そのことに気づいたのは国立民俗博物館を観てからです。それまではメタボリズムとかいって川添登(建築評論家)と組んで、変身していくことが発展するんだ、というようなことを言っていたように思います。その後、世間が環境問題云々と言い出すと、その建築手法を見事に変えるという、カメレオンのような人だと思います。豊田大橋もその例でないでしょうか。自然と「共生」、といいながら橋をデザインし、また河原に下りられる階段を造るという欺瞞を政治力をつかいでかしてしまう、なんとも「支離滅裂」な人だと思います。小生は、建築家でいえば自然派(?)の安藤忠雄と藤森照信(東大教授)の主張が明確ですので好きです。…

その3・元大学教授(自然科学)・男性
(要旨)…しかし、考えてみると「自然とともに生きる」、「自然との調和」と言うのもおかしな言い方ですね。[生][棲]いずれにしても、それは人を含めた動植物に対応する言葉で、自然が生きたり、棲んだりするわけでなし、人、さらに動植物の存在にすら関わりなしに自然は存在し「人はその中で、これをひどく損なわない範囲で生かさせていただいている」と言うべきでしょうから、「共生」などと言うのは不遜の極みではないでしょうか。むしろ問題はここで言う「自然」とは何だ、と言うことになるかも知れません。
…もう30年の昔になりますが、西アジアで都合3ケ月ばかり暮らしたことがありますが、和辻哲郎ではありませんが、自然と人の関わりと言うものを自分のこととして考えさせてもらえたいい機会でした。よく言われることですが、あの苛烈な環境のもとでは「人に優しい自然」、[お天道様の恵み]の概念は到底生まれ得ず、人が戦うべき相手あるいは抗いを許さない絶対者=神の意志の表現として自然を認識するほかなかっただろうなと実感しました。したがって、そうした自然環境下で作り出されたユダヤ教、キリスト教、イスラム教、それらに基盤を置く現在の西欧・アラブ世界では、万物は人のためにこそ存在する、人には他種動植物とおなじsoulに加え神より特別に与えられたspiritがある、したがってspiritのない他種動植物を人のためにいかに使おうと、殺そうと、それは神へ対しても冒涜とならない、などの思想があっても、これと調和し、その中で生きると言う概念はなかなか育たないと思います。この点、仏教思想などとは大きな隔たりがあるのも当然でしょう。したがって今使われだした「共生」に対し西欧語等にその語源を求めることは難しいように思います。
symbiosis(syn=together,bios=life,osis=状態)の語源はliving together(まさに共生)であくまで動植物間の関係を表す言葉であり、最近では人と人、人集団と人集団間のもちつもたれつの関係までも表すように意味が広くなっているようですが、自然との共存までは含みません。言葉はともかく、概念としても一神教確立後の世界にはこれを求めることは難しく、逆に古代地中海あるいはケルトなどの土俗信仰まで遡るか、逆にルッソー、ソローなどで代表される近代になってからの自然復帰思想あたりをみれば、あるいはその萌芽が見つかるかもしれませんね。…
(要旨)…「この世の万物すべてがともに生き、ともに生かされるとの椎尾管長のお考え、やはり『共生』思想の源は釈迦の教えないし仏教に遡りましたね。しかし、ここまでくると、仏教では「それらのことすべてが仏の慈悲、仏のはからいでなされる」となるのでしょうが、それ以上、むしろ「山川草木」、生命あるもの、ないものすべてに神を見出し、これを敬う」と言う、全世界共通の素朴な考え方、Crude animismに共通する思想ないし感じ方と言うことになるのではないでしょうか。エホバやアラーの神の教えより、日本古来の八百万(やおよろず)の神々の考え方の方がピッタリくることになります。それだけに、最近の新人類はわかりませんが、日本人には受け入れやすい考えでしょうね。そして欧米人には少々飲み込み難いものかも。…

6:「共生の言葉」使用で留意したいこと。
共生という言葉が身近な言葉として使用されることが多くなった。どのように使用されているかを分類してみよう。
@生物学用語としてーー広くは精神医学・精神分析用語としても使用される。
A「共に生きる」を簡略語にしてーー「共生(ともいき)」と読み、アジア的(仏教)思考として。
B「共に生きる」を簡略語にしてーー「共生(きょうせい)」と読み、人間・集団相互の共益・協力関係として。都市計画・行政・政治で多く使用されている。
C「人間と自然との共存」を共生としてーー都市計画・行政・政治で広く使用されている。
D黒川式使用法として。

@からDまでについて、わたし(渡久地)自身が留意したいこと、としてまとめた。
@としての使用には問題はない、と思う。精神医学・精神分析については分からない
。 Aとしての使用では、椎尾先生が言葉の意味をきちんとし、言葉以上に仏教精神に重きをおいて「ともいき運動」を提唱しているように思う。正しいことを提唱しているだろうが、仏教知識の不足しているわたしにはよく分からない。
B「共に生きる」「一緒に生きる」をそのものとして使用した方がよい。意味を縮めるなら「共生」(ともいき)と読むようにしてはどうだろうか。
Cについては、これからかなり一般的に使用されるだろう。現在のところ、『広辞苑』でもこのようには解釈していない。わたしは、このような使用は曖昧であり、誤りである、と思っている。従って使用すべきではない。
D黒川式使用は、誤りだけでは済まされない問題を含んでいる。商取引を有利にするためのハッタリ!・プロパガンダ用語でしかない。

7:共生の言葉が付いている本
豊田市立図書館所蔵:「共生」の言葉が題名に付いている本は次のとおり。
(2001年5月2日調べ)
●「聖書のなかの差別と共生」・荒井献著・岩波書店・1999年
●「生物界における共生と多様性」・川那部浩哉著・人文書院・1996年
●「生物との共生を考える」・森下郁子著・第一法規出版・1998年
●「ゼミナール共生・平衡・自立」・関西女の労働問題研究・ドメス出版・1998年
●「環日本海経済圏と環境共生」・蛯名保彦著・明石書店・2000年
●「寄生から共生へ」・山村則男ほか著・平凡社・1995年
●「共生」への原理・小田実著・筑摩書房・1978年
●「共生への航路」・神奈川県立かながわ女・ドメス出版・1992年
●「共生への冒険」・井上達夫ほか著・毎日新聞社・1992年
●「共生へのまなざし」・磯野有秀著・創言社・1996年
●「自立と共生の世界史学」・吉田悟郎著・青木書店・1990年
●「新・共生の思想」・黒川紀章著・徳間書店・1996年
●「人権と共生のまちづくり」・安保則夫著・明石書店・1998年
●「進歩から共生へ」・榊原英資著・中央公論新社・2000年
●「シンポジュウム共生への志」・大江健三郎[述]・岩波書店・2001年
●「障害児共生保育論」・曽和信一著・明石書店・1999年
●「障害者との共生を求めて」・本間和子著・潮文社・1993年
●「生涯の家共生の街づくり」・鎌田清子著・学文社・1992年
●「植物との共生」・ピーター・バンハル著・晶文社・1995年
●「自立と共生を語る」・大江健三郎著・三輪書店・1990年
●「自立と共生を求めて」・楠敏雄著・解放出版社・1998年
●「アジア共生の時代」・小川雄平著・同友館・1991年
●「オーエンのユートピアと共生社会」・丸山武吉著・ミネルヴァ書房・1999年
●「おもしろ男女共生の社会学」・井上実編著・学文社・1994年
●「おもしろ男女共生の社会学」・林典子編著・学文社・1999年
●「愛と協同が息づく共生の街をめざし阪神・淡路…」・兵庫県生協編・1996年
●「アジア・共生・NGO…」・曹洞宗国際ボランティア・明石書店・1996年
●「外国人との共生」・横山晴夫著・日本図書刊行会編・1996年
●「環境共生時代の都市計画・ドイツは…」・EVMEN他・技報堂出版・1996年
●「環境住宅A−Z…」・建設省住宅局生産編・ビオシティ・1999年
●「環境共生年づくり・エコシティ・ガイド」・建設省都市環境問題研編ぎょうせい・93年
●「環境・資源・健康共生都市を目指し…」・寄本勝美編著・成文堂・1999年
●「環境と共生する建築25の…」・大西正宣著・学芸出版社・1999年
●「地震列島との共生」・島村英紀著・岩波書店・1996年
●「自然との共生をめざして」・岡島成行著・ぎょうせい・1994年
●「自然と人との共生を考えるラムサール…」・加藤陸奥男著・実教出版・1994年
●「児童館・学童保育と共生のまち…」・児童館・学童保育21編・萌文社・1997年
●「多文化共生のまちづくり体制形成…」・豊田市国際交流協会編・1997年
●「宗教と共生」・コスター著・法政大学出版局・1997年
●「殺すな共生・大震災とともに考える」・小田実著・岩波書店・1995年
●「細胞内共生」・石川統著・東京大学出版会・1985年
●「細胞の共生進化(上)」・マルグルス著・学会出版センター・1985年
●「さまざまな共生・生物…」・大串隆之編・平凡社・1992年
●「共生の文化人類学」・渡部重行著・学陽書房・1995年
●「共生の法律学」・大谷恭子著・有斐閣・2000年
●「共生の倫理」・上広栄二著・実践倫理宏正会・1996年
●「共生マーケティング戦略論」・清水公一著・創成社・2000年
●「共生マネジメントで部下を…」・青木仁志著・ビジネス社・1996年
●「共生の思想」・藤原鎮男著・丸善・2000年
●「共生の時代」・槌田劭著・樹心社・1981年
●「共生の時代を拓く国際理解教育…」・魚住忠久著・黎明書房・2000年
●「共生の生態学」・栗原康著・岩波書店・1998年
●「共生の大地」・内橋克人著・岩波書店・1995年
●「共生の哲学」・宮内海司著・情況出版・2000年
●「共生のフォークロア」・野本寛一著・青土社・1994年
●「共生とは何か」・松田裕之著・現代書館・1995年
●「共生の意味論」・藤田紘一郎著・講談社・1997年
●「共生の科学」・小沢正昭著・研成社・1989年
●「共生の経営診断」・三上富三郎著・同友館・1994年
●「共生の国際関係」・松本仁助著・世界思想社・1997年
●「共生する社会」・佐伯眸ほか著・東京大学出版会・1995年
●「共生生命体の30億年」・リン・マーギュリス著・草思社・2000年
●「共生戦略キャノンの実践計略」・山路敬三著・東洋経済新報社・1993年
●「共生と循環の哲学」・梅原猛著・小学館・1996年
●「共生と進化」・石川統著・培風館・1988年
●「共生社会をめざして」・近藤原理著・明治図書出版・1993年
●「共生社会と協同労働」・石塚秀雄監修・同時代社・2000年
●「共生社会の現実と障害者」・生瀬克巳著・明石書店・2000年
●「共生社会の参政権」・近藤光男著・成文堂・1999年
●「共生社会の支援システム」・狩俣正雄著・中央経済社・2000年
●「共生社会の社会学」・坂田義教ほか著・文化書房博文社・1996年
●「共生思想の先駆的系譜」・稲田敦子著・木魂社・2000年
●「共生」時代の憲法・植野妙実子著・学陽書房・1993年
●「共生時代の地域おこし」・船井幸雄著・ビジネス社・1996年
●「共生社会への地方参政権」・徐竜達著・日本評論社・1995年
●「共生への道」・足立幸信著・日本図書刊行会・1999年
●「共生への模索」・水俣大学を創る会編・二期出版・1988年
●「共生から饗生への革新経…」・鶴蒔靖夫著・IN通信社・1993年
●「共生から敵対へ」・衛藤瀋吉編・東方書店・2000年

●「共生教育のすすめ」・仲田直著・仏教大学通信教育・2000年 ●「共生・参画時代の女性学」・西村絢子編・ナカニシヤ出版・1996年
●「蒼穹と共生」・金子昌夫著・菁柿堂・1999年
●「共生の思想」・黒川紀章著・徳間書店・1987年/1991年

この「共生の言葉」考は、未完成です。誤りがあれば訂正し、説明不足の点は追加します。お読みくださり、お気づきの個所がございましたらお知らせください。また、無断掲載・使用はかまいません。ただお知らせください。
渡久地 政司
追加

浄土宗の僧侶の方から椎尾先生の著書のコピーをいただきました。表紙のみ掲載します。重要な個所については、次のファイル椎尾共生を開いてください。
椎尾共生