2007年4月28日掲載

■ 渡嘉敷島集団自決事件と曽野綾子の冷徹な狙いは? ■

沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」、この事実は消えない!

渡久地 政司
(「日本軍」を削除)

 文科省は3月30日、来年4月から高校2年生が使用する日本史教科書の検定結果を公表。沖縄戦「日本軍が集団自決に追い込んだ、強制した」としていた記述を「軍が強制した証拠はない」として「日本軍」という主語を削除させた。

(参考とした資料)
参考にした資料。○曽野綾子著『生贄の島』1970年。○曽野綾子著『ある神話の背景― 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』1973年。○曽野綾子著『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真相―日本軍の住民自決命令はなかった!』2006年。○関西共同行動ホームページ『「集団自決」を問う沖縄戦裁判』2006年。○大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会事務局長・小牧薫著『大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判の争点』2007年。○大江健三郎著『沖縄ノート』1970年。

(資料の検討)

沖縄と本土との歴史的経緯―A 1965年ころまで沖縄側から本土への発信は、「訴え」を強調し、内部の恥部を閉じ込め、問題を他に転嫁する傾向があった。甘え・安易なご都合主義、歴史的検証の不十分さがあった。B 1970年ころから本土側知識人、作家、思想家が沖縄を自分たちの問題として把握、調べ発言するようになった。

1970年曽野綾子著『生贄の島』、1973年『ある神話の背景』は、戦争に的を絞り、多くの人々に会い、惨劇を理性的に冷徹に記述したルポルタージュ文学として評価された。

1970年、大江健三郎氏は、『広島ノート』の後続として良心の結晶のような『沖縄ノート』を発刊した。『沖縄ノート』には、プロローグを入れ10本の評論があり、いずれも温かい目で沖縄を見、沖縄問題を幅広く理解し、思想化した。渡嘉敷島集団自決事件の記述はそのうちの「1本」である。

30数年後の2006年、『ある神話の背景』は装いを一新して攻撃的・政治的・陰湿な「劇薬」として登場した。即ち、「沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真相―日本軍の住民自決命令はなかった!大江健三郎氏の『沖縄ノート』のウソ! 捏造された「惨劇の核心」を明らかにする」。現在進行している〈文科省による「日本軍」という主語を削除〉と〈大江健三郎と岩波書店を被告にする名誉毀損裁判〉は、連動した政治的事件といえる。目的は、大江氏の『沖縄ノート』の全否定を通して、集団自決をキリスト教的殉教と美化し、大日本帝国=日本皇軍の集団自決との関与を抹殺しようとするものである。

(事実こそ真相の出発点)

1970年ころ、大江氏の批評には、良心的ゆえ優しさ甘さがあった。曽野氏のような蛇のような冷徹さがなかった。それだけのことだ。今、沖縄・本土の研究者は、沖縄戦資料収集に努め、実証的に検証、成果をあげている。その一つが『渡野喜屋虐殺事件』として先ごろNHK・TVで報道された。また、『…軍官民共生共死の一体化…』1944年1月1日、日本帝国陸軍1616部隊。集団自決の指示文書が発見されなくとも集団自決を強いた傍証は数々発見されている。何よりも集団自決があった事実は重い。国・自民党は、事実を隠蔽しようと必死だが、事実に依拠して真相究明をおこなえば、運動も裁判も勝利は必至だ。