2005年8月17日

■ 後書 ■

   沖縄雑文録 後書
 ここまでまとめて一区切りとする。しかし、大きな欠落部分がある。それは、妻「政子の沖縄」であり、「政司・政子の沖縄」である。
いま書いておかなければならないことなのだが、書く以前に「こだわり」が生じ、困難である。これは、わたしが書くことも少しはあるが、妻政子が書かねばならないことが大半である。書いたとしても、それは公表されることはないだろう。

 政子の場合―
1 沖縄戦―逃避行、ヤンバル
2 戦争直後の那覇の復興状況
3 両親の死―沖縄社会(親戚)のしがらみ、家族の崩壊
4 屋良ヒデさんのこと
5 兄弟姉妹のこと、妹 幸代の自殺
6 子育て、渡久地の家族との確執

 をあげることができる。2005年8月現在、書いている気配はない。これはわたしが取材することでもない。本人が書く気持ちになる以外ない。
 このURLの「沖縄雑文録」は、実は本にする予定であった。しかし、ある残債を肩代わりすることになった。本にすることは断念することにした。
 この「沖縄雑文録」のどれも、推敲をかさねて書いたものではない。歩きながら、走りながら書きなぐったものばかりである。エッセでも伝記でも自分史でもない、まさに雑文ばかりだ。だが、必死の思いで書いたものも多い。
70年前後の沖縄闘争では、手帳が空白になっていて、年と月すら確認が出来ない。この時期は、身内でも多事多難な時期でもあった。そこの部分を正確に書くことは、これからも出来ないだろう。記憶が薄らいだことと、文字にする表現能力のなさ故である。
わたしの「沖縄病」も記憶力が薄らぐことにより、治癒しつつある。肩のしこりがとれたような気もする。

2005年8月17日
        渡久地政司