2005年8月17日

■ 沖縄差別 ■

X   講演録
4 沖縄差別/愛知大学での講義
沖縄差別・琉球人とは?
渡久地(Toguchi)政司

みなさん今日は。渡久地政司です。5年ほど前まで愛知沖縄県人会連合会の会長をしておりました。現在、豊田市に住んでおります。 そして、愛知大学の卒業生です。本日は、「沖縄差別について」話をします。
最初に音楽・CDを聞いてください。鳩間加奈子さん、1983年沖縄県石垣市生まれ、小学校3年生から鳩間島で育ち、八重山高校2年生の時、このCD「千鳥」を発表しました。今年、4月から青山学院大学文学部に在籍しています。みなさんと同じくらいの年頃ですね。
続いて、もう一曲聞いてください。曲名は「童神(わらびがみ)」(天の子守唄)です。歌い手さんは古謝美佐子さんです。
この二つの歌を聞いてもらったのは、歌詞に注目してほしかったからです。まず、「千鳥」の曲の歌詞は大体お分かりになったでしょう。「童神」はほとんどお分かりにならなかったと思います。しかし、歌詞(文字)を読めば、大体の意味がお分かりいただけた、と思います。童子のことを日本語の古語では「わらべ」といいます。唱歌にも「わらべは見たり、野中のバラ」があります。沖縄語では、童子・こどものことを「わらび」といいます。
差し当たって、沖縄の言葉は日本語(標準語)と少し異なる、ということを覚えておいてください。後ほど、言葉については、繰り返し繰り返し、説明します。
さて、本論には中々入れません。沖縄を語る場合、若干の基礎知識がなければ、話が進まないし、また、わかりません。そこで、@沖縄はどこにあるのか A沖縄の歴史 B沖縄・琉球人・日本人 を簡潔にお話しします。

@ 沖縄はどこにあるのか。
鹿児島県の南にあります。東西約1000キロ、南北400キロ。1000キロというのは、豊橋から西に直線距離にしますと、韓国のプサンまでです。沖縄県の最西端は与那国島です。与那国島の経度(縦線・子午線)は、朝鮮半島の二つの国より西にあります。この沖縄ですが、大きく3つに分かれます。沖縄諸島・群島、宮古諸島、八重山諸島。そして、琉球王国を対象にする場合は、奄美諸島も入ります。奄美大島から与那国島までを琉球弧・琉球諸島・琉球群島といいます。

A 沖縄の歴史を話します。
「沖縄」と「琉球」という固有名詞ですが、沖縄は沖縄島の名前です。沖縄県の名称は日本政府が1879年(明治12年)に付けたものです。「琉球」は中国の王朝が付けました。琉球王国(中山)と最初に命名したのは、中国明朝で、西暦1378年です。奄美・宮古・八重山まで含めた統一琉球王朝が成立したのは1429年、王様は尚巴志です。琉球王朝は、1879年まで450年続きました。途中、1609年に薩摩藩・島津軍が琉球王国に侵略し、占領します。しかし、琉球王国は中国明朝の冊封体制(明朝の支配下)にありましたので、明朝との摩擦・外交上の都合・対民貿易等の思惑から廃止されませんでした。薩摩藩・徳川幕府は中国明朝と貿易をしたいがために琉球王国を占領したのです。1429年から1609年までの180年間を「古琉球」といいます。古琉球時代の琉球を大交易時代と呼ばれています。中国明朝との交易だけでも171回、日本はわずか19回です。琉球の交易船は日本の堺港から朝鮮、マニラ、マラッカまで出かけていました。そして、巨額の利益をあげました。1609年、薩摩軍は3000人の兵と300船と鉄砲隊で一気に攻め、占領し、琉球王国の王や高官など約100人を捕虜にし、すべての財宝を奪い薩摩に凱旋しました。そして、奄美諸島を琉球王国から割譲し、薩摩領としました。1609年から1879年までの270年間を「近世琉球」といいます。近世琉球では、キリスト教の禁止、鎖国、検地・石高制、身分制度の確立により、封建制度が確立しました。

琉球船の輸出品は、主に昆布や硫黄、銀、工芸品などです。輸入品は漢方薬、香辛料など。琉球から日本には、黒砂糖、芭蕉布、上布などです
。 1879年(明治12年3月)日本政府は、軍隊と警察官を琉球王国首里城に派遣し、琉球王を東京に拉致し、琉球王国を廃止し、沖縄県を設置しました。このことを「琉球処分」といいます。
琉球王国時代、制度も風習も文化、言語も日本とはかなり異なっていました。独自の文化圏にあった、といってよいでしょう。

B 沖縄人・琉球人・日本人について。
日本人という言葉の意味は、曖昧に使用されています。 )人種 )民族 )国籍 )地域 )その他
きわめて曖昧な言葉ですね。この言葉の意味を正確にしておかなければなりません。
日本人という場合、人種、民族、国籍人、三河人という意味なのか、あいまいです。わたしたちは、日常、日本人をあいまいに使用しております。
わたしの場合を話しましょう。国籍は「日本人で、人種はヤポネシア人」と半分冗談に、半分真面目に答えています。日本人という人種については、NHKテレビ特集「日本人はるかな道」において、8月シベリア、9月黒潮、10月中国南部、11月朝鮮半島 と特集しています。結論を申し上げますと、純粋な日本人種は存在しません。混血なのです。みなさんは、経験的にこのことを知っているはずです。
では、純粋な日本・大和民族・単一民族は存在するでしょうか。古事記には神武東征があります。神武らしい武装集団が九州から大阪湾に上陸を試みて撃退され、紀州熊野に上陸、吉野や宇陀で苦戦をしながら飛鳥の地に入ります。そこには先住民がいたのです。この先住民・原住民こそ日本民族の祖先のようです。その後に日本民族を征服した民族が大和民族のようです。民族とは、人種・文化・言語・経済などの共通なものをもった集団がある一定の期間、集団としての機能を維持していたもの、です。日本・大和民族は存在しますが、単一な、純粋な民族ではないようです。
国籍についても、みなさんは、空気みたいに思っている方が多い、と思いますが、どうして日本国籍を所有しているのか?ということを考えてみることも大切です。日本国憲法では、国籍を離脱する自由が記載されています。わたしたちは、どこの国籍を選ぶのか、そうゆう選択の機会・経験がないままに国籍を所有しているので、国籍問題をいいかげんにあつかっています。沖縄人・琉球人差別を考えることをとおして、国籍についても考えることにしてください。詳しくは、後ほど話します。
さて、沖縄差別・琉球人とは?の本論に入ります。既に、一部は入りこんでいます。差別の概念ですが、差別には対象があります。差別する側とされる側があります。差別は、マイナス語でしたが、最近は、差別化といって、他よりより良い、を強調するプラス用語としても使用しています。
A)沖縄人・琉球人は日本人か。
この問いは、人種を指しています。そして日本人でないのなら、差別をする、される、として使用されます。このことに関して、学会では論争があり、日本人種の一支流が沖縄人・琉球人である、が多数見解です。沖縄人・琉球人は、混血した日本人種の内で比較的混血の度合いが低い日本人種の一部であると思います。
B)日本国家等による理不尽な行為、差別をあげてみます。
・ 1609年の徳川幕府の命を得て、薩摩藩の琉球侵略
豊臣秀吉が朝鮮を侵略し、朝鮮・明連合軍に大敗を帰します。明国と国交が断絶しました。その後、政権をとった徳川家康は明国との交易の仲介を琉球王国に期待しましたが琉球王国は斡旋することに躊躇しました。そこで、薩摩軍に出兵を命じたのです。そして琉球王国の財宝のすべて奪いました。しかも奄美群島を薩摩領に併合、琉球王国を形だけ残し、搾取体制を確立したのです。その後、奄美・琉球は薩摩藩の巨額な財源となりました。やがて幕末では倒幕の軍資金となったのです。
・ 1879年の琉球処分
明治元年は1868年です。日本政府は、琉球王国の併合をもくろみました。アヘン戦争の敗北で国力が疲弊していた中国清朝の抗議を無視して琉球王国を琉球藩にし、明治12年(1879)に軍事力をもって首里城から琉球王を東京に拉致、沖縄県を設置しました。その後、沖縄県知事はじめ沖縄県のトップの役人はほとんどを鹿児島県人で独占しました。明治・大正時代、沖縄県民は、現金での税負担に耐え切れず、海外移民、阪神工業地帯などに出稼ぎに出ざるを得なくなりました。政治・行政、経済を鹿児島県勢に奪われました。沖縄・琉球の言語、生活習慣、文化(芸能)などが抑制され、日本・大和化・天皇崇拝が強制的に推進されました。
・人類館事件・明治36年(1903)
大阪で勧業博覧会が開かれ、学術人類館に台湾原住民・朝鮮人・アイヌ人とともに琉球貴婦人として、二人の娼妓が展示されていました。このことが沖縄に伝わり大騒ぎとなりました。展示の仕方には問題があります。そのことについては、ここでは割愛します。問題にしたいことは、沖縄側にもありました。琉球新報は社説で「…台湾の生蕃、北のアイヌ等と共に…」と言い方をして、台湾原住民、アイヌ人、朝鮮人などと沖縄県人を同じにするな、と言う主張です。
・第二次世界大戦・沖縄戦では、捨石(時間かせぎ)作戦により沖縄県民の4人に1人が戦死しました。男子15歳から45歳までは2人に1人が戦死しました。
沖縄戦でのエピソードを一つ紹介します。
沖縄島の西側に渡嘉敷島という小さな島があります。島民300余人が集団自決をした悲劇の島ですが、そのことは割愛します。問題は、ここに配備された日本陸軍特攻艇の赤松大尉を隊長とする戦隊による沖縄県民の虐殺です。アメリカ軍によって投降勧告の使者とされた、伊江島で捕虜になった沖縄の青年男女6人と16歳の島の少年ふたりを赤松隊が射殺、惨殺し、教師一人をスパイ容疑で斬殺したのです。沖縄だからこの悲劇が起きたのではないか、場所が他府県であったなら、投降勧告の青年を殺さなかったのではないか。その後、赤松隊は投降しています。
・ 昭和20年(1945)8月、日本は戦争に負けます。敗戦の模様については、みなさんよくご存知かと思います。ここで、国籍の問題にしぼってお話しします。
昭和20年8月15日まで日本国籍人の範囲は、北から南カラフト、北海道、本州・四国・九州、台湾、朝鮮、南洋諸島でした。日本の敗戦によって、朝鮮、台湾に戸籍を置いていた人種としての朝鮮人、中国人は自動的に日本国籍から切離されました。南カラフトに取り残された日本国籍人であった朝鮮人は、帰国できませんでした。中国、朝鮮、台湾や東南太平洋にいた日本国籍人のうち、本州に戸籍のある日本人の引揚げは、敗戦国民としては、奇跡的なことなのですが、2か年間くらいでほぼ完了しました。しかし、沖縄に戸籍のある日本国籍人の帰国は直ぐには実現しませんでした。東南アジアと台湾にいた沖縄に戸籍を置く日本国籍人は、台湾の収容所に収容されましたが、食料や毛布などの配給もなく、戦後数年間、放置されました。本州にいた沖縄に戸籍を置く日本国籍人も沖縄への帰郷は認められませんでした。1948年になり、ようやく帰郷が認められたのです。この間に餓死・病死したひとが沢山います。沖縄関係者の中には、この混乱期に戸籍を無くしてしまった人もおりました。わたしは、戸籍を喪失した人の戸籍回復のために奔走した経験をもっています。
わたしは、昭和20年8月、中国の天津市南開に(7歳)住んでいました。
中国から引揚げで、沖縄には引揚げが出来ないことを知らされた時は、ひどく動揺しました。わたしたち家族は、引揚げ先が無くなってしまったのです。この時、国を失うことの恐ろしさ、をしっかりあじわいました。戦後、数年してから、、沖縄に戸籍のある日本国籍人は、臨時に福岡県に戸籍事務所が設置されました。
さて、沖縄諸島(奄美、小笠原、沖縄)に住んでいる日本国籍人の国籍はどうなったでしょうか。奄美と小笠原は先に復帰が実現しました。沖縄に戸籍のある日本国籍人は、1972年5月15日まで約27年間にわたって、日本国籍人であるが、日本国が関与できない存在・状態、という扱いを日本政府はとったのです。
サンフランシスコ条約第3条で、日本国の沖縄の施政権をアメリカに委ねる、としたのです。沖縄の人々は、日本国籍人でありながら日本国籍人としての権利が剥奪されたのです。この時期、昭和天皇は、天皇は政治に関与してはいけないことになっているのに、「沖縄を自由に使用してください」、とアメリカに親書を送っています。
・ 国による差別を身近な例であげます。年金です。沖縄が日本に復帰するまで沖縄には年金制度がなく、この間の空白は、今後深刻になってくるでしょう。
少し脱線しますが、今後の日本で、年金や保険、また、海外での生活とか、在日外国人との結婚や離婚等々で国籍問題は複雑になります。このあたりのことは、21世紀に生きるみなさんは真剣に考え、理解しておかなくてはなりません。とくに国際結婚の場合は、難しい問題を生じます。沖縄問題を調べていて痛切に、そんなことを思います。
C) 次に、言葉・文化での沖縄差別について、話をします。
最初に沖縄の歌「千鳥」と「童神」の2曲を聞きました。「千鳥」は意味がわかったと思います。「童神」はほとんどわからなかったと思います。沖縄語(琉球語)は、大きくは、日本語と同じ文法・構造を持つ言葉です。沖縄語も沖縄語圏では大きく4つに区分できます。奄美、沖縄、宮古、八重山です。同じ沖縄島でも、集落が違うと言葉のアクセントも違います。那覇と首里でも違います。
ですが、沖縄語の共通語らしきものがあります。首里言葉から丁寧語をかなりゆるめた言葉のようです。現在でも、ローカル放送でDJ、ニュースなどを沖縄語の標準語で放送しています。
沖縄語の発音はア・イ・ウの母音が基本です。エ・とオが消えます。エはイに、オはウになるのです。ですからオキナワはウチナワ(ウチナー)になります。日本語の古語が沖縄語に残っている、といわれています。例えば、「東風」は現代では「とうふう」と読みますが、菅原道真の「東風ふかば、匂いおこせぞ…」の東風が沖縄の地名にあります。東風平(こちんだ)。
言語学の講義ではありませんので、ここでは、日本語と沖縄語はかなり違っている。ヨーロッパ語圏でいえば、イタリア語とスペイン語くらいの違いがある、ということをご理解ください。
この違いは、富国強兵を政策にしていた日本政府にとっては困ることでした。軍隊での命令伝達に支障を生じるからです。全国的に普通語教育が強力に推進されましたが、特に沖縄では官民一体となって普通語教育が推進されました。
小学校では、「方言ふだ」がありました。沖縄語を使った者は、首から「方言ふだ」をぶらさげさせられるのです。当然罰則も付きます。生徒同士で監視し合うのですから、言葉を使わないのに限ります。もうこうなっては、教育ではありませんね。暗くなってしまいます。
この「方言ふだ」は戦争前だけでなく沖縄の施政権が日本に復帰する直前まで続いたのです。沖縄の教師たちは、日本復帰が實現しても、日本語をまともに話せなかったら就職に差し支える、と率先してこの運動を推進しました。
わたしは、普通語・共通語は大切だと思います。しかし、普通語だけにしてはいけない、と思います。それは生活文化の破壊だからです。
例をあげます。講道館柔道があります。日本の柔術には多くの流派があったはずです。それを講道館柔道一つにすることにより、失われた柔術の型なり文化も多い、と思います。相撲でも戦前まで関西大相撲があり、江戸時代は各藩で型のちがった相撲文化があったのです。
言葉でも各地にりっぱな地方語、例えば京都語など、があります。方言という言い方に問題があると想います。武士言葉、宮廷言葉、商人ことば、遊郭ことば等もありました。生活様式が変ることで言葉も変化します。すたれる言葉もあるでしょう。また、新しい言葉も生まれるのですが、それを国の政策として、地方語・職業ことばを撲滅することは、文化破壊のなにものでもありません。
柳 宗悦というすぐれた日本民芸運動家が沖縄県の「方言ふだ運動」を昭和15年に批判し、特高警察に検挙されています。

<まとめ> 本日の講義の結論・わたしがみなさんに知ってほしいこと。
@ 共通と違い。
都道府県平均という円を右手に持ち、各都道府県の各の円を左手に持ち、重ねてみます。どのくらい重なり合うか。いろんな条件が加わるので、このような実験は現実には存在しないでしょうが、漠然と考えてみましょう。
沖縄の違いは際立つはずです。でも共通部分が3分の2くらいはあるのではないでしょうか。違いの部分が際立つ、ことは確かです。言葉・舞踊・食生活・生活習慣など。差別化というプラス思考・志向があります。これを沖縄のひとたちが差別化、としてとらえるかどうか。また、各都道府県のひとたちが、異質なもの、排除すべきものととらえるか。国際化時代に異質文化を取り入れるか、排除するか、今後日本人の生き方がどうなるか、それが問われているのではないでしょうか。

A 沖縄人・琉球人・日本人
人種、民族、国籍、地域など。ひじょうに曖昧に使用されています。
日本人種、日本(ヤマト)民族に純粋なものはなく、単一でもありません。混合説が大勢です。沖縄人・琉球人という人種がある、という学説はありません。沖縄・琉球民族という概念は、琉球王国が存在していたころにはあてはるま可能性があります。しかし、明治このかた、その概念を規定してきた根拠が崩れ、崩れつつある、とわたしは考えています。
日本国籍人。自分の国籍を通して、国家と自分との関係を考える。今後みなさんは、外国国籍人との婚姻や離婚、権利関係など難問に遭遇することが多くなるでしょう。その時、国籍・戸籍の法的な関係などをしっかり理解しておかなければなりません。

B 沖縄の全国一をあげて閉めにします。(解説をしながら)
長寿(100歳以上)日本一。
女性の平均寿命日本一。
出生率日本一。
離婚率日本一。
年少(0〜15歳)の人口の多さ日本一。
完全失業率日本一。
10万人あたり風俗営業所数、深夜酒類提供飲食店数日本一。
性(レイプ)暴力の発生率日本一。
米軍基地の面積、軍人軍属の人数日本一。
年間所得最低、日本一。

時間があれば、CDを一曲かける。