2005年8月17日

■ 琉球民族 ■

X  講義録
 2 日本人・沖縄人 /民族について

2004-10-1 愛知大学での講義録
現代社会の諸問題――日本の中の民族問題(沖縄・琉球)

拉致被害者の曽我ひとみさん家族のことを、人種・国籍・民族をキーワードにして考え、そこから沖縄の人種・国籍・民族を考える手法は、私の知る限りでは他にないように思う。曾我さん家族の帰国前、ということを前提にしてお読みいただきたい。(2005-8-17)

今日は、渡久地政司と申します。43年前、ここ愛知大学を卒業しました。5年ほど前まで愛知沖縄県人会連合会会長をしていました。現在、豊田市に住んでおります。
本日は、「現代社会の諸問題―日本の中の民族問題<琉球・沖縄>」というテーマで講義をさせていただきます。実は、これは大変難しいテーマなのです。なぜかと申しますと、言葉がきわめて曖昧で、解釈が沢山でき、定説がないからです。しかし、きわめて大切な話、事実、事柄なのです。
 琉球・沖縄が民族なのかどうか、学問的規定はさておき、在日琉球・沖縄はユニークな活動をしています。
 愛知沖縄県人会連合会の「‘04版愛知沖縄ガイド」を配布させていただきます。
 この資料について、解説をします。
 これだけ濃密かつ量の多い資料をつくり配布している県人会は、他県にはありません。どうしてこのようなことが可能なのか。
 このことは、最後のしめくくりのところでもう一度話しをさせていただきます。

基本的な言葉について考えてみます。
日本人という言葉があります。みなさんも日常的に使用しているはずです。この日本人は、人種なのか、民族なのか、国籍なのか、地域・地方呼びなのかわかりません。
更に、人種とは何か、民族とは何か、国籍とは何か、を厳密に意味をきちんと付けて考えますと、いろんなことが見えてきます。ただ、本日はそれを深く探求することはいたしません。
具体的に人種、民族、国籍などを考えてみます。
曾我ひとみさんを考えてみましょう。人種は、日本人種です。民族は、日本民族です。国籍は、拉致失踪・国籍抹消期間を除き日本国籍人です。
夫のジンキンス軍曹はどうか。人種は、白人としておきましょう。民族は、アメリカ民族という形成過程にある民族に属していたのですが、人生のかなりの期間、アメリカ民族に属しておりませんでした。国籍はどうか。脱走した時点かその後、国籍離脱したかもしれませんし、よくわかりません。曖昧な状態、ということにしておきましょう。
難しいのは、二人の娘さんです。人種は、ハーフですね。朝鮮人種ではありません。民族は、朝鮮語を話し、朝鮮語で考え、朝鮮語の文化で育ちました。ですから民族は、朝鮮民族といえましょう。国籍はどうか。無国籍であったのか、朝鮮民主主義人民共和国国籍なのか、わかりません。今、佐渡に滞在していますが、父親の国籍が曖昧、そして本人たちの意思がわかりません。まだ未決定だと思います。既に日本国籍を与えた、ということは考えられません。それは、本人たちの意思を無視したことになるからです。超法規・政治的決定で行うことは可能ですが、政府が超法規的決定を行うことができるのかどうか。父親がアメリカ国籍を回復し、娘さんたちにアメリカ国籍の取得を勧めたらどうなるのか。むつかしい問題が沢山ありますが、これ以上立ち入ることは、本日のテーマから外れますのでやめます。
人種、民族、国籍などは、具体的に考えますと、大変意味深いものがある、ということをここでは、ご理解ください。
ここで琉球民族を考えます。
私は、かつて琉球民族と規定してもよい民族がいた、と考えています。
琉球民族は、14世紀ころから19世紀ころまでの約500年間、存在していました。場所・地域は、奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島を含めて琉球民族が存在しており、琉球王国が存在していました。民族の形成過程は、まずそれぞれの島に支配者がいました。沖縄島には大きく3つの勢力があり、それが1つに統一され、その勢力が奄美を征服し、続いて宮古、八重山を征服し14世紀に統一、琉球王国が成立、そして経済圏がつくられ民族が形成されてゆきます。しかし、1609年、薩摩軍が琉球王国に侵略し、王国の支配権をにぎります。対明・清関係重視から琉球王国を傀儡として存続させますが、支配権は薩摩がにぎります。今のイラクと同じですね。この時、奄美諸島は薩摩領に編入されまた。1879年、東京の日本政府は、軍隊と警察隊を首里城に派遣し、琉球王国の王尚泰を東京に拉致しました。そして尚泰を二度と故郷に帰ることを許しませんでした。その後、日清戦争で日本が勝利することにより、琉球民族は消滅の過程に入り、第二次世界大戦で、消滅したと考えています。

だが、民族とは何か、を規定して学問として民族を考えても、いわゆる民族問題は、死滅せずに復活してきます。
「琉球弧の先住民族会」という先住民族の諸権利を復活奪還しようとい運動体があります。上村英明という先生を中心にして国際連合にたいして少数民族の諸権利を認めさせ、少数民族の権利、文化を守ろうとする運動体です。
喜久里康子さんという20歳(当時)の講演記録をインターネットから引き出して読みました。大変ユニークで面白い主張です。グローバルなところでの先住民族の定義は、自分が先住民族だと思い、考えている者が先住民族である、というものです。
 私が先に、琉球民族は死滅した、といいました。
 喜久里さんの主張は、民族が民族として消滅しようが、ししつあろうが、おかまいなく、琉球民族が存在していた、また、その残滓が残っておれば、それをよりどころにして、先住民族の問題を問題として考えて行こう、というものです。それも、国際連合というグローバルな場所で、全世界の少数民族、先住民族と手をとりあって、運動を進めるというものです。
 琉球民族が死滅したとか、死滅しつつあるとか、そのようなことはおかまいなし、なのです。
 私は、琉球弧の先住民族会のような運動体のこれからに注目していきたいと思っています。