■ 渡嘉敷島自決と作家曽野綾子の狙いは?
映画「オキナワの少年」を観て ・沖縄を考える ■

1998年6月23日
名城大学・アジアと日本を考える自主ゼミ
講演会の記録

  主催者(はじめに)

      去る6月23日、私たち「アジアと日本を考える自主ゼミ」は、映画「オキナワの少年」の上映会と、渡久地政司さん(愛知沖縄県人会連合会・会長)の講演会を開催 しました。      6月23日は、周知の通り今から53年前に沖縄戦の終結した日です。県民の実に3人に1人が命を奪われた凄惨な沖縄戦、その体験ゆえに沖縄の人々はそれだけ一層平和 を求めてきました。しかし、それから半世紀以上の時が過ぎた今も、その願いは踏みにじられたままです。
    戦後27年間に及んだアメリカの占領と軍事支配、返還後も居据り続けた米軍基地。国土のわずか0.6%を占めるに過ぎない沖縄に、全在日米軍基地の75%までが集中し、「基地 の中に島がある」と言われた状況は少しも変わっていないのです。そして、基地の存在ゆえに米兵による犯罪や米軍の事故、環境破壊、騒音などの被害が後を絶たず、沖縄の 人々の生活と生命は脅かされ続けています。     95年9月の3人の米兵による少女強姦事件は、こうした状況に対する沖縄の人々の怒りに火をつけ、日米地位協定の改定や米軍基地の縮小・撤去を求める運動が燃え 上がりました。しかし、日本政府は沖縄の人々の声にはいっこうに耳を傾けようとはせず、むしろ日米安保の強化と米軍基地の固定化に力を注いできたのです。鳴り物入り で宣伝された普天間基地の返還にしても県内移設にすぎず、要するに返す代わりにまた新しく基地(海上ヘリポート)を建設するというものです。そして、移転先とされた 名護市での住民投票で反対が過半数を占めると、前防衛庁長官・久間はこれを衆愚政治と呼んで罵倒する有様です。その考えは、はじめに安保ありき、その要としての沖縄 の米軍基地ありきであり、沖縄にはその枠内での選択しか許されていないというものです。しかし、そもそも安保とは何なのか。朝鮮戦争の戦火の中で産声をあげ、 ベトナム戦争でその威力を発揮した日米の軍事同盟。決して防衛的なものではなく、常に強大な軍事力を外に向けてきたのが安保の歴史ではないでしょうか。     それでは沖縄の問題をどのように考えていけばよいのか。沖縄を踏みにじった歴史と現状の上に成り立っている本土の社会、意識すると否とにかかわらずその「恩恵」 に浴しているであろう自分たちは、どのようにかかわっていけばよいのか。そのようなことを考えるために、私たちは今度の企画を行いました。     映画の方は画像が悪く、渡久地さんや見にきていただいた人にご迷惑をおかけしました。渡久地さんの講演は日頃聞くことのできない話をして頂いたので、ここに パンフレットとしてまとめました。講演に際して配って頂いた資料はバンフレットの末尾に付けておきました。参照して下さい。

        私は今の映画・ビデオを観たのは3回目です。今日観た画面は大変暗く、見づらい。ビデオを持っていますので、観たい方はご連絡ください。 映画館で観ますと、 沖縄の海や空や樹木は鮮明で美しい。しかし、自然の美しさに比べ、映画のストーリーは悲しい話でつまっています。
    この映画の原作は、「オキナワの少年」です。著者は東峰夫・芥川賞作品です(「文学界」昭和46年12月号)。この小説と映画はかなり違っています。映画の前半 の米軍基地は「キャンブハンセン」です。名護市東海岸に今、海上基地建設予定地の近くです。売春宿の話は、映画も小説も同じですが、小説の方は、最後、少年が嵐の 夜、小船で海に漕ぎ出て行く、ところで終わっています。結論は書いてはいませんが、暴風の海に小船で漕ぎ出ることは「死」を意味していますね。私は、小説より映画 の方を評価します。小学校に米軍機が墜落炎上する話は、小説にはありませんが、実話です。映画の方が沖縄問題の全てを並べています。
    映画のなかで、映画のシナリオを書きたい、という少年が出てきます。これは実話に近いのです。ウルトラマンのシナリオを書いたのは、沖縄生まれの金城哲夫 です。金城哲夫は残念なことに若くして、事故死していますが、近年評価が高くなっています。ドラマ「ウルトラマン」は、絶対に人間を殺しません、そして最後には、敵味方を区別 しないで、救いでもって終結します。金城は、第1次ウルトラマンシリーズを書き終えた後、挫折し、沖縄に戻り、大酒を飲み、二階の階段から転げ落ち亡くなってしまいました。 映画の中にエピソードとして挿入されているのです。    映画の中にマリーという女性が出てきます。ロック歌手の喜屋武マリーとは違いますが、私は、ダブラセテいるのではないかと思っています。
    筑摩文庫に利根川裕著「喜屋武まりーの青春」があります。

   配布しましたプリントに「喜屋武マリーと安室奈美恵」があります。去年夏、愛知県下の私学高等学校の私学祭の時、講師を勤めた時のレジメです。なぜ喜屋武マリー と安室奈美恵をとりあげたか、というと、基地問題や政治問題は多く語られていますが、これらが正面とするならば、裏側から、日の当たらないところから、基地問題 を考えてみたかったからです。それは、米軍基地関係で働かざるを得なかった女性とその子供から沖縄問題を考えたかったのです。喜屋武マリーの父親はイタリア系アメリカ兵 で朝鮮戦争で戦死しています。母親がどのような職業の女性であったのか、は想像の域をでませんが、マリーは売春宿の近くで育ちます。母親はアメリカ兵と再婚し アメリカに渡り、亡くなります。マリーは小中学校時代、ひどいいじめにあっています。完全に落ちこぼれになっています。音楽の才能があることも知りません。日本も嫌い、 沖縄も嫌い、アメリカに行きたい、という希望を持ち続け、米軍放送を聞いていたのです。16〜17才ころ、夫になる喜屋武幸雄がマリーの音楽の才能を見つけます。だが、マリーは 沖縄人や日本人の前では、絶対に歌わなかった。そんな中、コザ暴動が発生します。夫は飛び出して行き、暴動に加わります。その時、マリーは、自分が責められているように 感じ、震えます。マリーは、自分は一体何なのだろう、と自問します。自分はアメリカでもなく、日本でもなく、沖縄でもない。
   5年ほど前ですが、名古屋今池のライブハウスで喜屋武マリーのライブがありましたので、聴きに行きました。かなりの迫力でした。今、45歳くらいかな。二人の子供 はアメリカンスクールに通学しております。この時のライブで、はっきりと、戦争反対と基地撤去を分かり易い言葉で話していました。    利根川さんの「喜屋武マリーの青春」は、文庫本で、ぜひお読みください。
   次に、安室奈美恵さんの本を持ってきました。この本によれば、奈美恵の母親は、ハーフですので、奈美恵はクォータですね。奈美恵が3歳の時、母親は離婚しています。 奈美恵はお婆さんに育てられております。中学校にはほとんど行っておりません。最初は合唱団に入りたかったのですが、入るお金がなかった。小学校高学年の時、歌謡コンクール に出場、どうやら才能があるらしいことがわかってきた。奈美恵は14歳の時、東京に行く決断をしています。その時、母親が「あんたはやはりアメリカに行くべきだ。日本や 東京に行くべきでない」といっています。奈美恵は「3年間、東京で自分を試してみたい。3年やってダメだったら帰ってくる」といいます。今、20代、30代の人でも自分の生き方 に迷う時代なのに、14歳の少女が、沖縄から東京に乗り込んで勝負する、という意気込み、この決断は凄い。彼女が芸能界やマスコミの中で、餌食になるかどうか、は別として この決断、これはいかにも沖縄的だな、と思います。
   安室奈美恵を沖縄で育て、東京に送りこんだマキノ正幸という方について、昨年5月30日、朝日新聞の天声人語が、マキノ主宰のアクターズ・スクールについて「嫌いなことで 競い合い他人を蹴落とす今の学校教育は、人を喜ばすエンターティメントとは無縁。安室たちの成功も偏差値教育から引き離した成果です」といっています。私は、今の学校教育 のことは分からないので、ここでは展開しませんが、安室たちのような子供が、沖縄から続出していることに注目したいのです。学校教育からはみ出した子供たちが沢山いるという 現状、これでよいのかいけないのか、はわかりませんが、沖縄や日本国を乗り越える勢いがここにあるのかも知れません。

  沖縄のことから離れ、韓国の話をします。しかし、沖縄と共通つすことが多いので、あえて話ます。お配りした新聞の切り抜きは、劇作家つかこうへいさんのものです。6月21日、 朝日新聞です。つかこうへいさんの著書に「娘に語る祖国」があります。読み易い本ですので、お読みください。つかさんは、日本で生まれ育ちました。血は韓国ですが、生活習慣 は、日本なのです。つかさんが韓国に行った時、先方が犬料理店に連れて行き、歓迎してくれました。一般日本人は犬を食べません。犬を食べる習慣のあるのは、秋田県人と沖縄県人 のほんの一部です。つかさんは、「犬を食べない」、といいますと、先方は、「日本人は、うなぎのような気もちの悪いものを食べる」といわれた、と書いています。食文化の違い から、犬を、うなぎを食べるから、云々して、相手の食文化を見下すことはよくない、とつかさんは、娘さんに語っているのです。新聞の切り抜きの中で、つかさんは、在日韓国人 として韓国人二世としてどのような生き方をしたらよいのかを語っています。最後のフレーズが大切です。「心から打ち解けて付き合える人に、年に何人出会えるか?」と問いかけ 「オレの実感では、せいぜい3人。一生で200人程度。人間1人が生きたあかしは、その200人とのつながりの中にあると思う。国籍なんか、それに比べれば形式的なことじゃないか」と。     在日韓国・朝鮮の人たちがかかえている問題の一つに国籍があります。この国籍について考えてみましょう。日本人という言葉があります。この日本人は、きわめて曖昧です。 人種なのか、国籍なのか。日本語では、ごっちゃになっています。アメリカ人の場合、アメリカ国籍を持った、白人、黒人、ヒスパニックなどいろいろいます。脱線しますが、豊田市 国際交流協会があり、そこの斡旋でアメリカから学生がホームスティとしてやって来た。こどもに英語を話す機会ともなれば、と受け入れた家庭があった。やって来たアメリカ人 顔を見て、黒人だったので受け入れ家庭が叫んだ、「アメリカ人でない」と。恥ずかしい話です。日本では、国籍と人種がまぜこぜになっている、ということをまず知っておいて ください。そこで、今からは、日本国籍人と人種としての日本人を区別して話しをすすめます。      わたしは、人種についても半分まじめに、半分ふざけて、わたしは、日本人ではない、ヤポネシア人だ、と言っています。ヤポネシアのヤポンは日本を指し、ネシアは諸島を意味します。 ヤポネシアは、フリピンから北を広く括った概念です。純粋な人種としての日本人はいない、純粋な人種としての沖縄人もいません。みな混血なのです。      在日韓国・朝鮮の二世三世たちは、自分たちの先祖や肉親をいじめた日本の国に生まれ、育ってしまった。そして、いまさら韓国・朝鮮に帰れない。苦渋の選択として日本国籍 を選択しています。わたしたちは国籍について、どのように考えたらよいか。日本国憲法第22条2項に「国籍を離脱する自由をおかされない」とあります。われわれ日本国籍人は、 国籍を離脱することができます。そこで、わたし自身のことを述べます。私は、意識して国籍を離脱して、そしてこの日本国を選ぶかどうか、考えてみました。そして、この日本国 を選ぶことにしました。その理由は、長くなりますので省きますが、一つだけ述べるならば、現在の国際情勢下では、消去法で、日本国を選ぶことにしたのです。
     さて、沖縄を考えるのが本日の題目です。沖縄が本土に復帰する、とはどのようなことか。沖縄県民は、日本国憲法と日本国籍を選んだ、ということです。意識していなかったかも しれませんが、本土復帰の意味は、ここにあります。
     沖縄が独立国家を樹立し、そこの国籍を取得するのも、 選択肢にあったかもしれません。しかし、詩人のような感性で、独立を云々することは、可能でしょうが、現実的ではありません。

     沖縄での国籍・人種問題を厳しく指摘している人に、ジョン・カピラがいます。新聞の切り抜きを見てください。カピラは、沖縄の姓で「川平」と書きます。石垣島に川平湾があります。 今朝、わが家の娘にジョン・カピラを知っているか?と聞きました。すると「カビラは、かなり有名だよ」「今の若い子で彼を知らない子はいないよ」とのことでした。カビラは、 サッカーの解説とかニーュス解説でよくテレビで出てきます。映画「月桃の花」の最初に、自分の先祖をアメリカから尋ねてきた青年が登場しますが、それがカビラです。彼の父親は 沖縄からフルブライト資金でアメリカに留学し、白人の嫁さんを連れて帰郷した沖縄のエリートです。では、彼らは差別されなかったか、というとNOです。そのことが、新聞 の切り抜きに出ています。「小学校の低学年の時、こんな体験をしました。自宅の改築工事に来た作業員から私たち3兄弟が「パンパンの子か?」とたずねられました。話を聞いて父は すぐ作業員を呼びとめ、「パンパンという表現は差別的で許されない。 どういう境遇に生まれたにせよ、子供たちには罪はない」と諭しました。

      ハーフの一人に、伊良部秀輝投手がいます。彼は沖縄で生まれ、尼崎市の青葉中学を卒業、四国の尽誠学園に野球留学をし、甲子園で活躍します。日本プロ野球からアメリカ大リーグ に移籍する時、マスコミに批判されていました。これからは、わたしの想像なのですが、彼はどうしてもアメリカ 大リーグ、それもニーュヨークヤンキースのマウントで投げたかったのだと思います。顔も名前もわからない、アメリカにいる父親に対して、オレはここに立って投げているのだ、 を見せつけたかったのではないか。そんなことを、勝手に思いながら、伊良部投手を応援していました。日本(東京)を越えて、活躍することは、何と素晴らしいことか。

     日本(東京)を越えたアーチィストに喜納昌吉さんがいます。彼の「全ての人の心に花を」は、アジアの、世界の曲になっています。この曲は、10余年、東京で演奏した時には、 マスコミは無視しました。この曲は、タイでヒットし、東南アジアに広がり、中国で歌われました。そこで東京がびっくりしたのです。東京は「外圧」で動きます。喜納さんは、この曲を、コンピーュターソフトのリナックス のように、著作権を放棄し、開放したのです。アジアを代表する曲として、また、アーチィストとして、彼はアトランタオリンピックの前夜祭に招待されています。彼は、東京を越えた 。彼は、「アイヌの上に風を吹け、大和の上に風よ吹け、沖縄の上に風よ吹け、コリアの上に風よ吹け、」いうのを歌っています。この歌を聞いた時、加害者大和を責めるのではなく、 大和の人を含めて…、「すべての人の心に花を」といっているのです。1か月ほど前、彼の事務所から「白船計画」の案内が来ました。みなさんは、ペリーの黒船をご存知ですね。 ペリーは黒船・軍艦で日本開港を迫ったのです。ペリーが最初に入港したのは、実は琉球王国でした。ペリーは、軍艦で、即ち、脅し外交で、強制的に開港をさせたのです。 その、ことの延長線上に、今日の日米関係がある、と彼は発想したのでしょう。黒船に対抗して、白船を日本から、アーチストたちを乗せて、「すべての武器を楽器に!」、 軍艦外交の時代ではない、と楽器と歌で訴えるのが計画です。このような発想が今までの日本の抵抗運動にはなかっただけに、わたしは、この発想が大変面白い、と思います。是非、成功してほしい。

     脱線ついでに、みなさんの手元に「98年版愛知沖縄ガイド」を配布しました。この「ガイド」について説明します。愛知県には、沖縄県だけでなく、青森県とか長野県、福岡県などの 県人会があります。しかし、沖縄県の場合、他の県人会と異色です。愛知沖縄県人会連合会は、約1.000世帯に年4回会報を届けています。参加者は、沖縄生まれの人が中心ですが、「2世・3世」という言葉が、ここでは通用しますし、直接沖縄に関係なくても 「沖縄大好き」の方は、会員になれます。開かれた組織なのです。これも、他の県人会と異なることです。  名古屋市に沖縄県名古屋事務所があります。県職員が二名常駐しています。琉球王国というものは、今は存在しません。 しかし、沖縄県名古屋事務所は、王国の大使館のような役割を果たしているのではないか、県人会と名古屋事務所は緊密な連絡を取り合っています。他県の名古屋事務所と県人会とは比べる ことのできないくらい、緊密に連携し、よく機能しています。

   本日の講演は、沖縄の基地問題がメインではありません。それを軽視しているわけではありません。基地問題は、きわめて重要です。しかし、あえてメインから外しました。それは、 基地情報は、その気になれば、ここ名古屋でも入手が可能です。しかも、これまでみなさんは、アメリカ軍基地についての講演をお聞きになったことがあるのではないか、そういう思いと 、基地については、他の優れた講演者がいるのではないか。ここ名古屋で沖縄問題を、他の人が語らないであろうこと、私しかできないこと、しかも、沖縄の人たちもあまり語りたくない であろうことを、敢えて、語らせていただいているのです。本日、映画「オキナワの少年」は、沖縄にいる親戚に聞いたところ、「沖縄では、観る人いないよ、観たくないよ、評判悪いよ、 」という返事が返ってきました。私は、納得します。自分の顔の傷について、語ることは躊躇われますから…。しかし、それを語り、知る、そしてそこから考える、これが出来るのが 知識人であり、沖縄を考える、原点・出発点でもあると思うのです。     いろいろ話しました。まとめます。いわゆる沖縄問題とは、日米安保条約による基地問題が大きな要素であることは確かです。ですから条約と基地が常に語られます。これは正しい。しかし、条約と基地から しか政治家や政党やセクトは語らない。私はここが不満なのです。そこで、本日の講演では、条約と基地については、あえて語らず、条約と基地に伴って発生している問題とか、沖縄と本土(東京) との歴史的関係から発生している問題などをとりあげました。ですから、焦点が定まらず、何を言いたいのかがわからなかった方も多いのではないでしょうか。映画「オキナワの少年」は、条約はでてきませんし、 基地内の様子は出てきません。基地に伴って発生してきた問題を、事実を描いています。それらは、解決の方法を語っていません。問題を提起しただけです。解決の方法を考えるのは、みなさんです。 わたしもこの重い思いを、真正面から考えて行きたいと考えています。一緒に、考えませんか。