安良城勝也著作・関係資料と記録者によるメモ




1  家族・一族  生年月日など
・ 安良城勝也 1928年(昭和3)1月5日、東京・雑司ヶ谷生まれ。
・ 盛雄(昭和52年4月9日 82歳)、専子(昭和55年4月8日 75歳)
   ・ 安良城家譜・家系図              仲村 顕作成()
   ・ 『毛姓世系図』  九世〜       (2006-11-30メール)
・ 繁は1923年(大正12)生まれ。命日 2月19日、お墓は安良城盛英(お婆さん)と同じ墓に。
2歳になるかならないうちに、感染症「はやて」に罹病、逝去。

2  幼少時代(首里赤平町)、幼児体験 1歳〜6歳まで。昭和4年〜9年まで。

3 ・ 幼児体験  祖母() 1875年(明治8)生まれ に育てられる。
・ 祖母は親泊家から安良城家に嫁入り。
・ お婆さんについて  名前

[写真説明]
左から百合子の母、盛英の妻、盛英、
親泊家から来た母、愛子の母、
みつこ、父・盛能、盛起、盛雄。
  ―首里赤平町の屋敷に

  祖母、盛雄の母はやさしい人というよりは、厳しい人という感じです。盛昭(歴史学者)公演録(『地域史の課題』「新しい歴史像所蔵」P219〜221)によると、字が読めなかったようです。鴨居からぶら下げた縄・紐のようなものを幾つも結び目を作り、厳しい面持ちで何事かを記録していたようです。
  「ヤマトぅはどこ」と聞いた時、すっくと背筋を伸ばし、静かに北東の方角を指しました。
  その時の厳粛な面持ちは、今でも、はっきりと記憶に残っております。
  勝也メール(2006-8-8)
   ・ 安良城家屋敷図    勝也継承() 
・ 昭和8年 安良城盛英(盛雄の兄)の妻の妹が勝也を沖縄から名古屋へ送り届けた。
この方は、胸を病まれ、早く亡くなられた。

4  満州国(中国東北)体験  昭和10年12月写真  渡満→外間家→清和胡同・関東組→清和胡同・315番地自宅新築転居  盛雄(39)、専子(31)、勝也(7)、マリ(3)
勝也メール()
・ 清和胡同315 番地時代については、「新京・桜木小学校・同窓会 homepage」で、
『清和胡同・慕情』として、連続書込み。
  ・ その頃の文学的背景についても、同 homepage で詳細に紹介。

5 小学校、中学校
・  昭和9年。名古屋市呼続小学校・入学。1年生。
・ 昭和10年。新京、小学2年生から白菊小学校、2年・3学期から、5年まで、新設の桜木小学校。
・ 父・盛雄の転勤により、大連へ。住居:大連市若松町91番地。
・ この頃、満州国政府官吏・盛雄は、「満洲石油株式会社」から招聘を受けたものと推定される。
・ 大連嶺前小学校 小学校6年生。卒業。
・ 大連  昭和15年 大連中学校(大連市立大)入学・1学期のみ体験      勝也ホームページ()
・ 『初体験』    「1991年刊・新京一中・同窓会誌・創作的自伝」
注: 新京第一中学校・同期生の会「八新会会報」には、復刊第3号(昭和63年,1988年)以来、2007年に至るまで、連続投稿中。
    復刊第4号(平成2年,1980年)では、「初恋」について赤裸々に語る。
新京 昭和15年-17年。 新京第一中学校・1年2学期 ? 3年2学期半ばまで就学。
・ 部活:一時期「体育部」、ついで、剣道部。
その後、急性肋膜炎で、休学。新京市駅前の「順天病院」に入院。
朝鮮人・付き添い婦・崔さん・梨さんの好意を受け、お世話になる。
入院中に、一家は、父・盛雄の転勤により、大連市甘井子地区「満州石油株式会社」の社宅に移り、
満石社宅・「特甲13号」に転居。
    勝也は、昭和17年10月、退院と同時に、甘井子に帰宅、一家合流。
・ 昭和19年4月、病状の回復により、大連第一中学校(関東州立)に転校。
同期生より2年遅れの復学。

6  敗戦体験と引揚
・ 昭和20年8月9日、学徒動員により「満州化学・硝酸アンモニア工場」勤務中にソ連侵攻。
召集令状を受け、「甘井子小学校・校庭」に集結、武器もないまま臨戦態勢。
・ 8月15日、「満洲化学・硝酸アンモニア工場」内で、終戦の放送を聞く。
再び、甘井子小学校・校庭に集結、日本軍最後の命令というのを聞き、「満石社宅」へ帰宅。
・ 以来、引揚げまで、ロシア語学習・大華特殊鋼・昭和製鋼所(砕石工場)・満洲石油勤務。
注:当時、満洲石油・独身寮「青雲寮」に居住の同社・青年技術者・・・山岸・長谷川・広木・山口氏らが
結成の同人誌に、唯一の中学生として参加、最初の文学作品を発表。この作品を眼にした「盛雄」が、大変感激、自作小説「別れ」を勝也に披露、小説「別れ」が語り継がれることとなる。
・ 引揚げ: 昭和22年2月下旬、大連市から出港、3月1日、佐世保港に入国。

7  三重県での生活
・ 昭和22年3月、養母の実家(三重県員弁郡治田東村)で直ちに受験準備。
3月下旬、受験に際して、本家に下宿の2人のお姉さんたちから、赤いベルトの腕時計を借りる。
愛知工業専門学校・名古屋工業専門学校(電気科)共に合格。
・ 名古屋工業専門学校(現・名古屋工業大学) 昭和22年5月(同年は5月入学)〜昭和25年3月卒業。
入学式欠席、原因―大連時代について、アメリカ情報機関に呼び出されて、東京丸の内旧日本郵政ビルで事情聴取された。
  ・ 住居: 三重県員弁郡治田東村から、名古屋市瑞穂区川岸町、ついで、名古屋市港区稲永新田・市営住宅へ。
・ 在学中、昭和 23-24年、少年時代から憧れ・共鳴していた Edgar Allan Poe の作品に耽溺・朗読。
The Fall of the House of Usher, The Masque of the Red Death, The Black Cat, The Raven,
Annabel Lee を丸暗記・朗唱。Poe との一体感。

8 在学中の回顧
・ 『想い出』    「入学60周年記念文集」   (2006-11-26メール)
              1947年ころから学生時代、新聞記者時代の想い出

9  国家公務員(昭和25年-昭和27年夏)  東京  通産省・電気試験所(現電総研の前身・技術員)
・ 住居: 叔父・吉川(旧姓・渡嘉敷)宅に寄寓。埼玉県・東部東上線、ついで、東京都渋谷区、
東京都新宿区下落合に転居の後、吉川宅を出、品川区の官舎・袖が崎会館に入居、電気試験所に通勤。
袖が崎会館では、侘しいながらも快適な独身生活。ダンス靴を買い、社交ダンス講習にも通う。
新宿区で、都庁職員が主催する絵画講習会に参加、裸婦のデッサンに熱中。
食事は自炊。食器は軍隊の飯盒・フライパン・鍋一つのみ。今、考えても、これは理想的生活。
五反田駅周辺の商店街で、「鶏がら」を買い込み、スープを作り、青春グルメ。 当時、停電が多く、魚屋の店頭を訪れた所、店主の若い旦那が、自転車のペダルを踏んで、懸命に人力発電・・・その微かな光で、商品の魚を照らしている光景を目撃、悲哀を味わう。
これは、一生忘れません。
・ この頃、マックスウェルの「電磁方程式」分析に熱中。「弁証法論理」も始動。
・ 昭和26年、電気試験所調査報告・第139号「熱型需用計」(The Thermal Demand Meter)。共同執筆。
この調査報告、全4章のうち、冒頭の2章の執筆を担当。 一部の識者・・・主として、アカデミズムの立場の人々・・・から、高い評価を受ける。
[情勢・要点]昭和24年物価庁告示により、新電気料金制度が発足。「需用電力料金」という新概念が打ち出され、技術者たちの間に、「測定対象がなにか分からない」という思想的混迷状態を生じた。
「熱型需用計」と「機械型需要計」の2方式があり、全く、異なった値を示すにもかかわらず、どちらを採用してもよいという、従来見られなかった情勢が生まれた。
[解決]第1章第5節における新たな「視点」の要約:
「需用計は、物理的測定器ではない。需用計は、測定器形態をとった『新電気料金制度』である。」
つまり、「新電気料金制度そのもの」の測定器的「現象形態」である。
その「電圧」と「電流」の「積」の動機は、物理的測定器における「積」とは、本質的に異なる。
それが掛け合わされ「積」となる理由は、
凵u発送電・機器コスト」= (定格電圧×剪闃i電流) + (定格電流×剪闃i電圧)
     という「技術・経済的微分方程式」関係にある。
その初歩的な微分方程式(dz = ydx + xdy)の「解」(z = x*y + const)の核が、
「発送電機器コスト」= (定格電圧×定格電流)   (積) であり、「熱型・機械型」いずれも、この条件を満たし、コスト増に対して抑圧的であるとした。

10 昭和27年夏。製材所の経営に参画するため、電気試験所を退官。
・ 昭和27年夏-暮れ、母方の親族一同の強い要請により、親戚・製材所(三重県四日市市)経営に参画。

11 昭和27年12月、製材所の経営から離れ、纏まった「手切れ金」を得て、暫く浪人生活。
間もなく、「日刊工業新聞社・名古屋市支社」に入社。
「編集部」で新聞記者生活に入る。
・ 担当:
商品市況(150種類くらい・名古屋市内の有力小売店・問屋筋は殆ど取材)・
科学技術(大学・国立・県立・市立研究所)・証券(証券記者クラブ)・金融(金融記者クラブ)
・ 昭和30年1月 トヨタ・クラウンの性能・発売前スクープ。
注: 父・盛雄の勧め:「経済記者をやろうというのなら、『証券市場』を極めなければならない」に従う。
「会計学」・「商業簿記」・「金融資本論」(ヒルファーディング)を学習。金融・証券関係記者クラブ入会へと繋がり、さらに、「アナログ計算機によるビジネス・ゲームの試み」へと拡大する。

12 昭和33年、結婚。名古屋市港区西稲永に居住。

13 昭和34年秋、「伊勢湾台風」に遭遇。被災のため、名古屋市東区・日本住宅公団・西山・虹ヶ丘住宅に転居。

14 昭和38年。岐阜支局長。広告取材を含む経営手腕を認められる。
・ 昭和39年(1964年)、「アナログ技術研究会」(東京都渋谷区千駄ヶ谷5-10、日本科学技術研修所内)、
第4巻第4号で、「アナログ計算機によるビジネス・ゲームの試み」を共同発表。
(名古屋市工業研究所・所長、古田久一、
電子計算機研究室・所員・稲垣荘司、
日刊工業新聞社・安良城勝也)
  システムの特徴:「貸借対照表」と「損益計算書」を、アナログ計算機でシミュレートしたこと。
          「会計学」・「商業簿記」・「金融史本論」の学習がここで生きる。
          ディジタル時代幕開け前夜の技術。計器だらけで、航空機のピット・コック状態となる。

15 昭和40年、指名により、日刊工業新聞社の海外渡航・外国語試験(英語・フランス語)を受け、合格。

16 昭和41年(1966年)3月
編集記者として、海外取材要員の一人に指名される。
記事執筆・広告取材両分野を処理する人材不足のため、岐阜支局長から、本社・業務局(広告局・副部長・兼・国際課長)として、指名され、東京に転勤。国際広告導入を担当。
住居: 横浜市神奈川区西寺尾・日本住宅公団アパート。
  主要先進国10か国に、「媒体代表部」(Media Representatives)を設け、新聞社への国際広告導入を進める。
・ 編集局の指揮下に入り、移動特派員として、『欧州取材旅行』(記事取材)1966年8月20日〜10月5日。
 ・ 『光のメタフィジーク』シリーズ広告  個人的に、ウシオ電機の広告を企画・コピーも担当。
『日経サイエンス』誌掲載  1973年9月〜74年2月まで
      「第3回 サイエンス賞」
      コメント: マルクスは観念論者であり、ヘーゲルこそ唯物論者である。
           理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である。
・ 日刊工業新聞社・社報
1968年4月-10月。シリーズ「生命の論理」を発表。「工業とはなにもの、いずこよりきたり
いずこへいく・・・」で締めくくり、全社員にハッパをかける・・・おッちょコちョいぶりを発揮。
・ 社報・昭和46年(1971年) 7月号。「アメリカ取材旅行記」を掲載。
「ニューヨーク・ブロンクス」にある 「 Edgar Allan Poeの家」訪問の感激を述べる。この中で、「アッシャー家の没落」・「赤き死の仮面」の文脈のダイナミズムを紹介。
・ 社報・昭和54年(1979年)2・3・4月合併号。「工業こそ無限の宝庫」と題し、わが国工業の「量子工学」から「素粒子工学」への展開を示唆。
・ 社報・昭和51年(1976年)11・12 月号。「ブン屋のマイコン挑戦記」への挑戦記を掲載。
日刊工業本紙に、1976年10月8日(金)-11月27日(土)まで掲載されたシリーズものに関する報告。
マイコン・パソコン・ブーム到来前夜の熱気の中で、展開された未来予言的広告キャンペーン。
「八本足の蛸君」キャラクター画像を採用。シリーズ最初の記事・広告を見て、この日、日刊工業新聞社の電話は、終日、鳴り止まず。この広告を見て、「人生を変えた」という人物が、テレビ番組で登場。
マイコン・パソコン時代到来のさきがけとなる。
このキャンペーンにより、閑古鳥幻聴自身の人生行路も、マイコンへと舵を切り、変わることとなる。
このシリーズの記事・イラストは、後日、「インテル・ジャパン」が、拡販用として、出版・販売。
・ 「粉体と工業誌」昭和55年(1980年)11月以降、ハイライト欄。
劇画『ブン屋の量子力学挑戦記』を数ヶ月連載。極めて楽しい経験。
しかし、劇画執筆が、いかに、体力・気力を消耗するかを痛烈に体験。

17 生母・久志芙沙子(1)との出会い ・ 最初の初出会い 1960年   名古屋市大池町・旧名古屋商工会議所ビル・地下「精養軒」。
・ 第2回     1966 年   名古屋駅前・ビル内の喫茶店。
・ 第3回     1968年   芙沙子の家出。横浜市神奈川区西寺尾・日本住宅公団アパート。
・ 第4回     1972年   横浜市旭区中白根。新築の勝也宅。
晴れての訪問、解脱・一期一会の出逢いとなる。                  閑古鳥幻聴 Homepage に関連コーナー。
注:「久志芙沙子年譜」をはじめ、多くの出版物において、この年、1972年、「芙沙子家出」としているのは誤り。
正確には、家出は 1968年。1972年には、閑古鳥幻聴の homepage 「久志芙沙子コーナー」にあるように、彼女は、すでに、「解脱」状態。秋には、閑古鳥宅を訪れ、一期一会の邂逅となる。

18  その他の著作
   ・ 『情報産業論』   「中央公論」誌掲載  1969年2月号 
     梅棹忠夫氏が高い評価。
     この論文についての種あかし。
・ 1984年、「プログラミング技法・Monica!」を出版。 オーク出版サービス。
インテル・8080・8085 マイクロプロセッサ用・『ニーモニック・カード』
   ・ 『C の話』1991年、翔泳社 税込み 1500 円。
   ・ 『CからC++へ  一晩で理解するオブジェクト指向』 森北出版
                           税込み 1890円
     1990年代の「バソコンソフト」の本質的概念を与えるものとして評価された。
   ・ 『EPRのパラドックス』解決  HP版
・ 絵本『第13回童話コンクール受賞作品集』(日本アンデルセン協会選)
デンマーク・チボリガーデン賞「にゃんにゃん交響曲」
      ベートーベェンの第9交響曲をベースにしている。
・ 『ぺんでゆらむ』    CD版
   ・ Edgar Allan Poe の Eureka と同質の作品。

19  父・安良城盛雄
 ・ 『愛知商工』183号
・ 安良城盛雄からの手紙   生母・久志芙沙子について メール()
離婚の経緯を記述。

20  生母・久志芙沙子(2) 
   ・

21  ホームページ
    www.geocities.jp/vickedgarapoehegel/

22  『ぺんでゆらむ』 について
   ・New version を計画中。

23  勝方恵子氏の訪問を受けて、その衝撃
   ・
   ・

24  異父・弟との初面談、その衝撃
   ・ 坂野 興氏との対面  2005年1月
・ 「安良城勝也さんはお母さん(久志芙沙子)とそっくりでした」。
     坂野夫妻が仲村顕氏に語った。久志家墓所を案内した時、(2007年○月○日)。
・ この対面は、坂野と安良城・両家にとって、歴史的ともいうべき画期的な会合であり、この対面実現に向かって、ご尽力賜った多くの方々のご尽力に対し、心からなる謝意を表します。(閑古鳥幻聴)
 
25  その他
・ 「日本ヘーゲル学会」入会が理事会で認められた。(2007-02-03メール)

26  ・ 2007年8月-11月
・ Cayley-Dickson Construction を集中的に分析。「弁証法的・数論世界縦断」を達成。
[成果]
1. 高度な「対称性」のもとにおける最も典型的な Venn Diagram (閑古鳥カルタ・卵と呼ぶ)が、
Cayley-Dickson Construction と等価であること。
2. Cayley-Dickson Construction による数論展開
0元数 ⇒ 1元数 ⇒ 2元数 ⇒ 4元数 ⇒ 8元数 ⇒ 16元数
が、実は、「素粒子の image 」へと向かう Hegel 論理学の展開であること。
∵「閑古鳥カルタ・卵」と「弁証法」とは、等価である。
     3. 従って、この縦断は、Hegel 論理学の「21世紀的展開」であること。
      この分析により、「可換律」・「合成律」・「零因子排除」の各数論的規則の意味が明確化。
この数論縦断の論理的展開・・・特に、「零因子」問題は、2007/11/17 現在、分析・整理中。
Cayley-Dickson Construction については、新たな論理・事業計画を模索。
                                        以上
2013-4-6 受信

渡久地政司さま
いろいろ、反省してみますと、人間は絶対的なDNAの支配と、
強烈な超越的(transcendental)DNAという2つの影響力に
曝されているように想われます。
超越的DNAというのは、肉体的DNA・物理的時間・空間に関係なく、
瞬時に影響が飛び移る霊的なものと考えます。例:Poe と Baudelaire。
小生の場合にはその影響で、豊穣の畑の中で、収穫をしないまま次から次へと、
放牧的サスライの旅を続けていたように感じます。
以下、成果に乏しくも楽しい日々の想い出をご紹介申し上げます。
[FetishismInChildhood]
小銃弾・火打石用石英の塊・磁石各種。押し入れに隠し持っていました。
[紙飛行機作り]すごく上達しました。
[強力静電気]
中学時代、セルロイド下敷で発生。前席太田君の白く密集した産毛の耳を痒がらせました。
謝罪のチャンスを失い、彼は、不思議な経験と思い返していたと想われます。
[暗号]中学時代、暗号文字を作り、流行らせようとしました。
[速記・早稲田式]今や、速記歴60年です。
[2重振り子]現住所で、天井から吊り下げて実験、不思議さに唖然。
[懸垂曲線]現住所で、アルミの鎖をブラ下げて、実験・撮影しました。
[ステガノグラフィー]
文献調査のみで終わりました。
神様も故人もやっているハズだと説き廻っています。参照「草葉の蔭から」。
[ヴァンデグラフ]
 強力静電気発生器。意気投合の一宮の機屋さんが寄贈。巨大金属球・稲妻。
多くの来客の髪を逆立たせ、怖がらせましたが、女房に捨てられました。
[リキテックス]
 一時期熱中。トーマス・コンプレッサ、ハンドピースまで購入。
[シャドウマスク]
点描画法の効率化のため、テレビメーカーから入手。コンプレッサで、
霧を吹きかけたところマスクが激しく振動。その上、錆だらけとなり失敗。
[瞬間接着剤]今でも、凝っています。
[ザイログZ80]Monica! カードを発売。多少、売れました。
 NOPは、なにもせず、時間だけが経過する operation を指示します。

[パソコン]凝りました。
[大型フレネル・レンズ]太陽光ですべて瞬時に炎上。庭木の毛虫退治で威力。
 しかし、近隣に鼻も曲がる程の異臭を発生、女房に叱られました。
[超大型コンパス]持て余し、来訪の甥に押しつけ寄贈。
[リレー型特殊計算機]同窓生・東山工業高校・教師の水野君と共同製作。
 今でも、陳列されているかも知れません。
[テンプレート]各種、凝っています。
[デジカメ・Photoshop]作品数多、方々に寄贈。常時展示もあります。
[Characters 作り]趣味。homepage やシャツなどで使っています。
[フラクタル・カオス]依然、関心を持ち続けています。
[コンピュータ言語]各種。これまで、
 アセンブリ言語各種・
Basic・Forth・Prolog・Lisp・C・C++・Smalltalk/V・HTML・CSS
 これから、Java・JavaScript。
[弁証法解析]
 これが、Kankodoriの最終到達点です。
パルメニデス(不変)・ヘラクレイトス(流動)・ピタゴラス(定理)の諸説を統一、
隠れた未来への入り口、探究に成功したと感じています。
長文で、失礼しました。
           



2013-4-8 受信
渡久地政司さま
またまた、mail の訂正で恐縮です。Monica! の件です。
誤:ザイログのZ80
正:インテル8080/8085
安良城勝也 拝
蛇足:
8bit 時代到来と同時に、早期に、カードを作ったので、インテル8080/8085プロセッサの
命令体系をカード化することになりました。
その後、事態が進展、より優れた、ザイログのZ80プロセッサがでたので、
小生は、システム開発をZ80に切り替えました。
従って、カード化:8080/8085
     開発:Z80。
となり、カードも Z80 用であったかのような錯誤に陥って mail しました。
ご紹介戴いた mtoguchi 勝也 data は、正しいのです。
その mtoguchi data では、カードは8080/8085となっています。
もっとも、8080/8085・Z80のいずれも、命令体型に…大きな違いはありません。
                                安良城勝也 拝

送信済み: 2013年4月9日, 火曜日 午後 3:59:03 GMT+09:00日本
件名: 訂正:ザイログZ80 ⇒インテル8080/8085


渡久地政司さま

またまた、mail の訂正で恐縮です。Monica! の件です。
誤:ザイログのZ80
正:インテル8080/8085
安良城勝也 拝
蛇足:
8 bit 時代到来と同時に、早期に、カードを作ったので、インテル8080/8085プロセッサの
命令体系をカード化することになりました。
その後、事態が進展、より優れた、ザイログのZ80プロセッサがでたので、
小生は、システム開発をZ80に切り替えました。
従って、カード化:8080/8085
     開発:Z80。
となり、カードも Z80 用であったかのような錯誤に陥って mail しました。
ご紹介戴いた mtoguchi 勝也 data は、正しいのです。
その mtoguchi data では、カードは8080/8085となっています。
もっとも、8080/8085・Z80のいずれも、命令体型に…大きな違いはありません。
                                安良城勝也 拝


----- 転送メッセージ -----
From: "Vick"
To: mtoguchi@violin.ocn.ne.jp
送信済み: 2013年4月6日, 土曜日 午後 7:07:02 GMT+09:00日本
件名: 消去文・再送信20130405Sat





渡久地政司さま



いろいろ、反省してみますと、人間は絶対的な DNA の支配と、

強烈な超越的 (transcendental)DNA という2つの影響力に

曝されているように想われます。

超越的 DNA というのは、肉体的 DNA ・物理的時間・空間に関係なく、

瞬時に影響が飛び移る霊的なものと考えます。例: Poe と Baudelaire 。

小生の場合にはその影響で、豊穣の畑の中で、収穫をしないまま次から次へと、

放牧的サスライの旅を続けていたように感じます。

以下、成果に乏しくも楽しい日々の想い出をご紹介申し上げます。



[ FetishismInChildhood ]

小銃弾・火打石用石英の塊・磁石各種。押し入れに隠し持っていました。

[紙飛行機作り]すごく上達しました。

[強力静電気]

中学時代、セルロイド下敷で発生。前席太田君の白く密集した産毛の耳を痒がらせました。

謝罪のチャンスを失い、彼は、不思議な経験と思い返していたと想われます。

[暗号]中学時代、暗号文字を作り、流行らせようとしました。

[速記・早稲田式]今や、速記歴 60 年です。

[2重振り子]現住所で、天井から吊り下げて実験、不思議さに唖然。

[懸垂曲線]現住所で、アルミの鎖をブラ下げて、実験・撮影しました。

[ステガノグラフィー]

文献調査のみで終わりました。

神様も故人もやっているハズだと説き廻っています。参照「草葉の蔭から」。

[ヴァンデグラフ]

 強力静電気発生器。意気投合の一宮の機屋さんが寄贈。巨大金属球・稲妻。

多くの来客の髪を逆立たせ、怖がらせましたが、女房に捨てられました。

[リキテックス]

 一時期熱中。トーマス・コンプレッサ、ハンドピースまで購入。

[シャドウマスク]

点描画法の効率化のため、テレビメーカーから入手。コンプレッサで、

霧を吹きかけたところマスクが激しく振動。その上、錆だらけとなり失敗。

[瞬間接着剤]今でも、凝っています。

[ザイログ Z80 ] Monica! カードを発売。多少、売れました。

  NOP は、なにもせず、時間だけが経過する operation を指示します。



[パソコン]凝りました。

[大型フレネル・レンズ]太陽光ですべて瞬時に炎上。庭木の毛虫退治で威力。

 しかし、近隣に鼻も曲がる程の異臭を発生、女房に叱られました。

[超大型コンパス]持て余し、来訪の甥に押しつけ寄贈。

[リレー型特殊計算機]同窓生・東山工業高校・教師の水野君と共同製作。

 今でも、陳列されているかも知れません。

[テンプレート]各種、凝っています。

[デジカメ・ Photoshop ]作品数多、方々に寄贈。常時展示もあります。

[ Characters 作り]趣味。 homepage やシャツなどで使っています。

[フラクタル・カオス]依然、関心を持ち続けています。

[コンピュータ言語]各種。これまで、

 アセンブリ言語各種・
Basic ・ Forth ・ Prolog ・ Lisp ・ C ・ C++ ・ Smalltalk/V ・ HTML ・ CSS

 これから、 Java ・ JavaScript 。

[弁証法解析]

 これが、 Kankodori の最終到達点です。

パルメニデス ( 不変 ) ・ヘラクレイトス ( 流動 ) ・ピタゴラス ( 定理 ) の諸説を統一、

隠れた未来への入り口、探究に成功したと感じています。

長文で、失礼しました。