2005年8月17日 

■ 祝辞 沖縄芸能グループ ■

3 祝辞など 
 
沖縄・琉球芸能発表会のパンフレットに掲載の祝辞依頼には、自分の言葉で応じることにした。言葉がきつ過ぎたり、祝辞らしくないものになったり、お説教臭くなったりしたが、本当のことを述べることが親切な祝いの言葉になると考えたからだ。 
 
ぜひ観て下さい 
 
 背のびすればフラつく。高く跳躍すれば、下手をするとケガをする。しかし、背のびし、跳躍しなければならない時がある。その時は、そんなにあるものではない。 
 
 今回、玉城流金城康子琉舞道場名古屋・豊田教室の第1回発表会を豊田市で開催することになった。今まで、豊田市の沖縄関係者の実力では、この種の発表会開催は、とても無理だと思われていた。 
 
しかし、竜歳の今が、まさに「時は満ち足り」です。金城師匠や豊田市で沖縄芸能に励んできた沖縄関係者にとって、今がまたとない充実した時ではないでしょうか。昨年では早すぎた。来年では遅すぎる。今がまたとない機会です。 
 
 背のびし、跳躍することでケガをしてもよいではないか。ケガを恐れずやり抜く沖縄魂をわたしは、ここ数年見てきました。そして、今回の発表会が飛躍となり、質的に一段と高い域に達することを願っています。 
 
名古屋・豊田教室第1回発表会 
 
主催:金城康子琉舞道場 
 
  昭和63(1988)年2月28日 
 
豊田市民文化会館 
 
 
ほんものを聴く 
 
東筋秀盛さんとは、幾度もお会いしているのですが、実はわたしはまだ東筋さんの独演を聴いたことがないのです。昨年、名古屋市で八重山民謡の大御所“山里勇吉”さんの民謡ショーが開かれたとき、東筋さんが、合の手(そのようにいってよいのかどうかわからないが)を入れていました。それが実に朗々としていました。八重山民謡をまとめて聴いたのはこのときが初めてでしたが、唄い手も一流ならば、八重山民謡のメロディーもまた評判どうり素晴らしいものでした。どのように素晴らしいのかを言葉や文字に出来ないことが悔やまれます。「百文字は一聴にしかず」です。その八重山民謡のほんものを聴く会が“島唄 忘してぃならん”の名称で発表されるのが今回のイベントです。ほんもの、よいものは、休暇をとってでもして聴いて、心の糧にしようではありませんか。 
 
 東筋さんと関係者のみなさまには、お祝いのことばを!みなさまには、このイベントを責任をもってお勧めいたします。 
 
島唄 忘してぃならん 
 
  八重山民謡保存会 
 
  第1回 東筋秀盛研究所発表会 
 
  主催:東筋秀盛研究所 
 
平成9(1997)年3月11日 
 
名古屋市芸術創造センター 
 
 
量から質へ!さらなる飛躍を 
 
ここ10余年近く、在愛知沖縄生まれの若者たちのエイサーや芸能、恋愛と結婚、そしてこどもたちの誕生と育ちを、「密着せずに、見えないところまで離れず」付き合ってきました。この間、多くの若者たちが、せつかく親しくなったのに、沖縄へ帰ってゆきました。沖縄へ帰って生活できる若者は幸せです。だが、帰りたくても帰れない若者たちが、ここ愛知で生きてゆくのだ、を決断する糧として、沖縄文化との出会いがあり、沖縄の文化を学ぶことが生きがいとなり、愛知の地で立派に生活基盤を築いたケースもいくつかあります。 
 
 そんな若者たちのグループが「盛芸能」と出会い、従来、我流で行っていた沖縄の文化・三糸などを、吉田安盛・盛和子両先生のもとで本格的に学び、このたび、その成果を「唄と踊り・まるごと沖縄」として公演することは、大変嬉しいことです。 
 
 エイサーや三糸を自分だけで楽しむなら我流で楽しむこともよいでしょう。しかし、他人に観て、聴いて、喜んでもらうは、質的飛躍が求められます。 
 
質の高い沖縄・琉球文化、芸能を期待しています。 
 
「唄と踊り・まるごと沖縄」 
 
主催:盛芸能名古屋実行委員会 
 
平成9(1997)年11月29日 
 
刈谷市民会館 
 
『大和・沖縄・風など…』 
 
 脚本・演出の秋吉拓史さんから『大和風吹ちん』の脚本の原案コピーをいただき読み、戸惑いを覚えました。それは、生臭い大きなテーマを臆することなく取り組んでいるからです。若さの特権として失敗を恐れず格闘するのもよいことだと思い直しこの文章を書いています。 
 
大和とは、沖縄からみた日本をさします。沖縄とは、明治12年、明治日本政権により強制された名称です。琉球とは、中国王朝が付けた固有名詞です。 
 
 沖縄語では、大和を「ヤマトウー」、沖縄を「ウチナー」と発音します。風は「カジ」、吹くは「フチン」。「大和風吹ちん」は「ヤマトウカジフチン」となります。仲宗根政善編纂辞書では、大和はヤマー「とウ」―と表記されています。 
 
 沖縄語で、風について、参考までに2〜3とりあげておきます。東風を「コチ」と発音します。菅原道真の古歌に「東風ふかば…」があります。この東風は、沖縄では、地名として生きています。南風は、「ハエ」、広辞苑にも掲載されている美しい沖縄語で、これまた沖縄で地名として生きているのです。北風は「新北」の漢字をあてて「ミーニシ」と発音します。南国沖縄でもミーニシは冷たく、体感温度を急速に下げます。 
 
 大和はミーニシの吹く方向にありますが、この大和に、沖縄人以上に沖縄が大好きという人々が、ありがたいことに多く現れ始めています。平和世創人ちむどんどんの秋吉拓史さんたちです。 
 
今回の演劇企画が、沖縄にとり、冷たいミーニシから春を告げる東風・南風「コチ・ハエ」となって、大和「ヤマトウ」からの風「カジ」吹チンときっとなることでしょう。 
 
大和風吹ちん 
 
主催:平和世創人ちむどんどん 
平成9(1997年3月1日 
名古屋市港文化小劇場 
 
 
プロ「鼓・翔舞会」 
  に期待する 
 
創立が1996年4月ですから、もう7年になります。私が会主與那覇政浩さんに出会ったのもこのころで、高校生を中心としたエイサー集団でした。その後、年々発展し、東海地方唯一のプロ集団に成長、本日、「魂の音楽沖縄」を盛大に開催することになったことに敬意を表します。 
 
ここで、@「愛知の中の沖縄芸能集団について」とA観客席から観た「愛知の中の沖縄芸能」について、私の期待と要望を述べさせていただきます。 
 
@「愛知の中の沖縄芸能集団について」。いま、愛知では、沖縄伝統芸能エイサーや、舞踊、音楽等が盛んになっています。そして、グループをつくり、分裂、結合、解散などをくりかえしております。人間が集まるのですから、揉め事や対立、争いも発生し見苦しい事もあります。ただ、この現象をどうみるか。私は、エネルギーがあるとプラスに評価しています。大いに競えばよいのです。こんな中、自分の集団をまとめながら、他の集団や人々にも気配りのできる人物が必要です。それを担える胆力と知恵をお持ちなのが與那覇政浩会主です。愛知の中の沖縄芸能集団のリーダーに、これが私の期待です。 
 
A観客席から観た「愛知の中の沖縄芸能」について。これは、他の沖縄芸能集団にもいえることですが、近年、観客の多くは、沖縄関係者ではありません。名古屋は、江戸時代から「芸どころ」です。質の高い、厳しい視線で沖縄芸能を観賞して下さっています。これまでこれらの方々の観賞に応えるだけの芸を提供していただろうか。否、としかいえません。プロの沖縄芸能集団・「鼓・翔舞会」がこれに応えるのだ、という気概を持って挑戦、飛躍してほしいのです。それを可能にする若い芽、與那覇兄弟・女性達に、期待すること大です。 
 
魂の音楽沖縄 
  主催: 鼓・翔舞会 
平成15(2003)年6月8日 
愛知県勤労会館大ホール