■ 2002-04-15 平和と人権国際シンポジュウム・京都 ■

2002年4月15日
「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム
日本大会に参加した感想
渡久地 政司

はじめに
2002年2月22日から25日まで、京都・立命館大学でおこなわれた「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム第5回日本大会に参加しました。このシンポの主催団体、参加した主な方々、その意図、過去からの経緯等々については、他の方々と重複するでしょうから、ここでは触れません。ここでは、わたしの個人的な感想を、簡潔にまとめることにします。
大会のはじめからおわりまで、公開されたシンポはすべて参加しました。密度の濃い報告が多く、集中して聴いていましたので、大変疲れました。しかし、わたしにとっては、すべての報告・行事が有意義・得るところ大でした。主催者や関係した方々には、感謝します。

● 1日目(2月22日)―日本大会趣旨および経過報告について
報告者は、墨 面日本大会事務局長。現在の日本国内情勢を次のようにまとめ(要旨)ています。
…「戦争のできる国家」作りが、「北朝鮮脅威論」や「台湾“独立”、中国脅威論」をテコとして扇動され、日本の政治は急速な右傾化・軍事化を進め…、アジア民衆の犠牲の上に築かれた「高度経済成長」の“恩恵”にどっぷりと浸かったかつての記億に絡め取られた日本民衆は、その牙をすでに抜かれ、今日の苦境と社会的閉塞感を偏狭なナショナリズム・反歴史意識に転化させながら、 …新たな排外主義を作りだしています。…

また、9.11事件と今回の日本シンポの関係について、次のようにまとめ(要旨)ています。
…「テロ事件」を契機に、「報復」を声高に叫ぶブッシュ政権の「戦争」に日本政府はたやすく同調し、瞬く間に派兵が実行…、4回に及ぶシンポを通じて学んだ、アメリカの「正義」とその追従者たちによって、無数の民衆が虐殺され続けてきたという史実を今一度思い起さなければなりません。…武器をもたない人々に加えられた犠牲と苦しみ、不正義を基点に…。「テロ」とは何か?本シンポは、冷戦下のテロが、覇権国家の構造的暴力によって連鎖的に生み出されたこと、同時にこの構造こそが、過去の暴力を忘れさせ、許容するよう欲してきた歴史を見つめてきました。国家がテロリズムの主体となってきた歴史を今、改めて問い直す必要が生じているのです。…

そして、本シンポのめざすべき方向として―。
…東アジアにおける「和解と統一」「平和と人権」に対する逆流がいよいよ勢いを増している今日、朝鮮半島での「和解・統一」のプロセスをより強固なものとし、さらに進んで中国両岸の統一、そして、東アジアに対する日本のあり方を根本的に批判し、日本の方向を転換させることが、今までになく緊急かつ重要な問題として提起されなければなりません。…

● 1日目(2月22日)―作家・ 金 石範先生の記念講演
『アフガニスタン空爆は世界を蔽う』
講演を聴きながら、幾度も相槌をうちましたが、後日、文字になったものを読み返すと、文章を要旨のみに縮小することが不可能なことを知りました。全文掲載の小冊子が販売されているはずですので、是非購入してお読みください。作家は文字・文章で勝負をしているのですが、言葉というものは、口で話すことから始まったものだけに、苦渋に充ちた口元から、言葉をさがしながら、自分の重い想いを表現しようとなさった金 石範先生の記念講演には感動しました。

金 石範先生講演―合点できる「言葉」の抜粋―。

…世界の頂点に立つアメリカ一極支配システムが世界を蔽い、それへの反抗のすべがない無力感が絶望を伴う。そして絶望がニヒリズムを生む。私はテロへ飛び込む人たちの、私とは比較にならぬ次元の恐ろしい絶望に不充分ながらのシンパシーをおぼえるが、しかしテロはニヒリズムなのだ。ニヒリズムの先は空無。どのような方法があるのか、しかと分からぬままに、絶望の表現の方法としてのテロリズムはわれわれのものではないことだけは間違いないと考える。
アメリカによってもたらされたこの絶望感は、一方ではまた、同じくアメリカがもたらした事態の本質を見る力を与えてくれるだろう。そしてこの絶望感を、そこへ落ち込んで行く無力感へではなく、それへの連帯へと向って行くしかないと私は思う。…

● 2日目(2月23日) 日米安保条約と戦後日本の保守体制・纐纈 厚(山口大学)
60年安保闘争から参加しているわたしにとり、懐かしいテーマ。後日、文章を読むと、内容の濃いものでした。結論の「新保守主義に内在するネオ・ミリタリズムとネオ・ファシズム」は、現在の日米の国家と社会を蔽っている現代版の軍国主義・ファシズムについての分析。
● 2日目(2月23日) 朝鮮戦争 休戦直後の李 承晩の反日運動と韓日両国間の連帯
・徐 仲錫(成均館大学)
韓国側のこの種の報告と論文を聴いたり、読んだりしたのは、初めてであった。貴重な資料。
● 2日目(2月23日) サンフランシスコ講和条約体制と中国分断問題の歴史と現在
・曾 健民(台湾社会科学研究会)
この方の報告は、以前、お聴きしたような気がする。台湾の研究者なのに大陸中国の研究者のような考えだ。「台湾地位未定論」とか、アメリカのご都合主義などがよくわかる。資料としての価値はあるのだろうが、衝撃をうけるような報告・論文ではない。
● 2日目(2月23日)サンフランシスコ平和条約と沖縄―第3条の意味するもの
・宮里 政玄(琉球大学)
『第3条の作成過程やその意義については、まだ定説はない。』から、報告がはじまった。わたしは、サンフランシスコ条約については、すべて研究しつくされている、とばかり思っていた。英語から日本語への翻訳に意図的な「誤り」があった、と宮里先生は述べた。隠された部分がまだあるようだ。
● 2日目(2月23日)占領下の米軍基地買売春と地域―・平井 和子(静岡大学
) 資料的価値のある報告。
● 2日目(2月23日)朝鮮戦争と女性―軍慰安婦と軍慰安所を中心に―・金 貴玉(慶南大学)
翌日の朝日新聞にも報道された。同胞の「女性捕虜」や北側として参戦せざるを得なかった女性たちをレイプしたり、慰安婦にしたりした。よくここまで調査したものだ。すぐれた内容。
● 2日目(2月23日)性暴力容認体制としての安保―沈黙を破って―
・浦崎 成子(沖縄女性史研究者)
わたしにとり沖縄は身内みたいなものなので、厳しい感想を書く。「隠し玉」のように、突然、米軍兵士にレイプされた女性が登場、レイプ体験を語ったので、会場は一瞬、静寂になった。紹介の仕方が唐突であった。人権にかかわることなので、写真を撮るな、録音をするな、はいわずものがなであった。事実を公開したことに意味があるのだから、社会的リスクは覚悟のうえのはず。
● 2日目(2月23日)台湾地区戒厳時期の政治裁判事件の研究
・朱 徳蘭(台湾中央研究院中山人文社会科学研究所)
この種の報告・論文を読むのは初めてなので、このようなことがあったのだ、と納得しながら読だ。資料としての価値はある、と思う。
● 3日目(2月24日)遺骨送還運動と冷戦― ・猪 八戒()
「花岡事件」の概略、遺骨発掘と在日朝鮮人、冷戦下での状況などの報告。資料的価値はある。
● 3日目(2月24日)朝鮮戦争下の自由労働者(京都)の闘い
・小城 修一
朝鮮戦争下での全国各地での闘いには、共通性がある。同じようなことを行い、弾圧をうけ、悩んでいたことがわかる。資料としての価値はある。
● 3日目(2月24日)名古屋・大須事件の証言― ・酒井 博(大須事件元被告)
報告書の全文は、わたしのホームページに掲載してある。大須事件50周年。事件のもつ意味を、歴史の闇に消し去らせず、正しかったこと、誤りなど、きちんと総括しておかなければならない。
● 3日目(2月24日)吹田・枚方事件を検証する― ・ 脇田 憲一
名古屋の大須事件も大阪の吹田・枚方事件も同じ時期に、同じような政党・団体の指導の元でおこなわれた。しかし、報告者の酒井氏(名古屋)と脇田(大阪)は、今まで、お互いに交流がなく、この場所で初めて出会った。この事件のもつ特異性のような気がする。現在の日本共産党がこの両事件を無縁のもの、関係無い、としているためであろうか。
●3日目(2月24日)米軍占領期の在日朝鮮人運動― ・丁 永才
この時期の在日朝鮮人の運動や家族離散(北の祖国への帰還)など、当事者でなければ語れないようなエピソードがあり、参考になった。
● 3日目(2月24日)沖縄シンポジュウムと今後の展望― ・高良 勉(沖縄事務局)
高良氏は報告の結びで、「どうか、沖縄の闘いを孤立化させないでいただきたい。東アジアシンポの国際的民衆運動のネットワークで包んでもらいたい。東アジア国際シンポジウムは、その課題に応えてくれるものと信じている。」と悲愴な声を発していた。
● 3日目(2月24日)共同方針提案― ・ 徐 勝(日本事務局)
成果の確認を12項目、今後の方針5項目・具体的に4項目を発表した。
● 3日目(2月24日)夜―お別れパーテイー
韓国グループは、みんなで唄う歌をもっているが、日本(本土)にはなかった。沖縄は、喜名 昌吉さんの「花」があった。韓国女性の詩の朗読に感動した。
● 4日目(2月25日)フィールドワーク(吹田・枚方事件現地視察及び部落解放地区視察)

まとめ・感想
国家テロを告発し、犠牲者の名誉を回復するという政治運動的側面とこの時期の東アジア各国の政治・社会情勢の研究という両面をもってこのシンポはスタートしたように思う。このことに関して、台湾や韓国では、一定の成果が得られたようだ。日本と沖縄では、歴史的事実の掘り起こしなどがなされたものの、取り巻く政治状況はますます悪化しているように思う。
わたし個人としては、このシンポジウムにかかわり、沖縄大会・光州(韓国)大会・京都(日本)大会に参加を通して、多くの友人を得ることができ、また学んだことも多かった。