■ 2002-05-30 政治資金考・まず自らを浄化する ■

2002年5月30日記載
政治資金考・まず自らを浄化する

1)「政治資金」について、かなり偏見のある考えを書く。
新聞や雑誌に書くと、そこで止まってしまうが、ホームページでは、後日、訂正したり書き加えたりすることが可能だ。
発展・進化する文章として読んでほしい。ご批判を得たい。

2)政治運動を行う側からすれば、政治資金を透明にしておくことは、当然のことであり、また、透明にしておかなければ、政治運動などおこなえない。
与党にしろ、野党にしろ程度に差があっても、同じだ。野党・市民派・革新派・革命派ともなれば、透明にすることは、なおさら当然である。
政治運動は、戦いである。戦いである以上、相手の情報は知らねばならない。逆にこちらの情報は知らせてはならない。トランプゲームで持ちカードを隠すことと同じだ。
古代から現代まで、地球上のどの政治運動・戦争でも、このことは、あてはまる。
具体的に市議会議員選挙を例に考えてみよう
。 公職選挙法に基いて、選挙後に収支報告の提出が義務付けられている。
収入の部では、選挙資金を提供した者の氏名と金額、住所を記載することになっている。正確に全部を記載している者も例外としてわずかにいる。
しかし、ほとんどが、全部を正確には報告していない。
支援者は、政治的・社会的・経済的利害関係で、相手側の陣営・選挙事務所にいる場合もある。隠れ支援者の存在(逆も) など当然いる。選挙後、相手の提出した収支報告書を点検・閲覧することは、常識である。
野党・市民派・革新派・革命派の場合、手の内を公開することは、与党・体制側の権力によって弾圧を喰らい、その集団の滅亡に繋がる。手の内の非公開・防衛は、当然である。
わたしは、市議会議員選挙後、選挙管理委員会で、全候補者の提出資料を閲覧したことがある。ある保守のベテラン候補者の収入の部は、本人の氏名と金額のみが記載されていた。
毎回、同じパターンの報告書で、見事な作文であった。日本共産党の候補者は、公然活動家の氏名と金額が記載され、法律には抵触しないこれまた見事な作文となっていた。

3)利権がらみやワイロなどの汚い資金も、純粋に政治をよくしたい、という善意の資金も、ヤミの選挙資金・政治資金も「貨幣」にはかわらない。
選挙資金・政治資金を、運動者なりそのグループが、支持者や民間から集めているうちは、ヤミ資金であっても、それが公職選挙法や政治資金規正法に少々抵触していても、警察権力は、権力の発動を今のところおこなわない。
だが、選挙の公営化や政党助成金などで公的資金が支出された場合、状況はかわる。

前回の愛知県会議員選挙での公費負担について、愛知県選挙管理委員会で調べてみた。
ハガキの郵送料の県費負担は公職選挙法による。ポスターの作成費については、愛知県条例による。
ハガキは一候補者に8000枚(50円×8000枚=40万円)。
ポスターは、ポスター掲示場の数が500ケ所を超える場合、55万7115円+26.73円×ポスター掲示場数
豊田東加茂選挙区では、ポスター掲示場数が766ケ所なので、県費支出最高限度額は57万7590円・一枚あたり754円となる。
なお、愛知県下での一枚あたりの平均は、なんと1463円なのです。
だが、「ポスター作成は、1枚300円以内でできる」(一立候補者から直接わたしが聞いた)。
印刷所と話し合って、上限いっぱいの金額の領収書を添付して請求、県費の支給をうけると差額が「利益」となる。
印刷所は、候補者へ「寄付」として還流することも可能だ。
ハガキは、一候補者に対して、8000枚(40万円)が県費負担である。
複数立候補させている政党の場合、他選挙区の重点候補へ「横流し」することができる。
これはまさに不正だ。
参議院選挙でも、これも有力なその世界の当事者からわたしが直接聞いた話なのだが、複数立候補者の場合、選挙ハガキを「横流し」したり、同じ党派の重点候補者に集中させることは、当事者内では「常識」とのことだ。
市民派運動を担っている者ですら、選挙ハガキ操作で、選挙資金確保云々していた。
この胡散臭い話を、厭な思いで聞いていたが、野党・市民派運動にも、公的資金を、領収書・書類操作によって上正に確保しょう、というマヒした感覚が蔓延しているようだ。
今、市民派・革新派議員の多くが、議員報酬、議員調査費、議員「特権」・無料乗車券や無料入場券、視察旅行などについても、感覚がマヒしている。
汚い金でも、奪った金でも、浄い金でも「同じ金」。
「正義」のために使用するのだからかまわない、という「意識」が、濃淡はあっても市民派・革新派・革命派の運動側にある。
最初は、「正義」であっても、だんだんそこに依存するようになると腐敗がはじまり、腐敗する。
4)また、市民派・革新派・革命派運動に、次のような考えがある。
自分たちは、「正義」の運動をしているのだから、「資金カンパ」をしてくれてもよい。
また、するのが当然である。
この考えは、「傲慢」であり、市民派・革新派・革命派運動の腐敗の根源もここにある。

5)さしあたっての結論を書く。
選挙・政治闘争で、自分たちの陣営の全貌をかくしておくことは、必要である。しかし、公的資金の補助金・助成金などが支出される場合(それを受理しないことが最善ではあるが)、受理するのならば、一点の曇りもないようにしておくことが、野党・市民派・革新派・革命派のとるべき態度である。
市民派・革新派・革命派の選挙・政治資金=資金カンパは、どのようなものでなければならないか。
「資金カンパ」は、求めるものでなく、求められなくても・得られるような「運動の結果」・「喜捨」としてもたらされなければならない。
純粋な「喜捨」は、氏名も金額も「なく」提供される。「喜捨」する者と受ける側に信頼関係があってはじめて成り立つ。
例をあげるならば、日蓮宗の「不受布施派」のように、自分たちの考えを支持しない側からの、資金・便宜提供の一切を受けない、の姿勢をとるべきである。
野党・市民派・革新派・革命派は、書類操作によって選挙資金・政治資金を捻出する、という小細工をおこなってはいけない。
まず自らを律し、浄化することだ。そこから始まる。