2002年6月23日・慰霊の日

■ 沖縄復帰30年、見て、話し、感じたこと ■

渡久地(toguchi) 政司
5月19日から27日まで沖縄にいってきました。19日日曜日は、宜野湾市の国際会議場で、政府と沖縄県主催の沖縄復帰30周年の記念式典がおこなわれていました。ムネオさんは、かつて沖縄・北海道開発庁長官で、沖縄のムネオハウス(国立劇場「おきなわ」)に予算をつけた?ので、例の事件さえ発覚しなかったならば、ご招待されたでしょうが、…ムネオ的人物は、ご招待されたでしょうが、…わたしのような利権に関係のない人は、お呼びではありません。

このたびの沖縄行き航空運賃など旅費のことから話をします。名古屋から那覇まで、往復航空運賃こみ、2泊3日のホテル、朝食つき、レンタカー付きで一人4万円を切りました。4人1組になりますと1人3万円を切ります。ホテルは最高級の万座ビーチホテル。このような格安パック旅行、大手航空会社のキャンペーンに便乗したのです。格安パック旅行の影で、緊急に沖縄にでかけなければならず、当日、名古屋空港にでかけますと、片道で3万円余になります。このからくりは、やはり調べ、通常の航空運賃を安くさせる方向に改正させなければなりません。大手航空会社のパック旅行は、沖縄住民にとって、間接的利益があっても、利益の大半は、本土資本に還流されています。沖縄観光が、年間、438万人(H12年)になっておりますが、ここでもうかっているのは、本土大手企業なのです。

那覇空港で最初に感じることは、まばゆいくらいの明るさです。同時に、まばゆさの中にクラクラするような暗さをも感じます。夏、目を閉じ、太陽の方をしばらくみていてから目をあけて周囲をみますと、あたりが暗くなっています。森山 良子さんが歌う「さとうきび畑」の《夏の陽射》そんな感じです。

明るさと暗さ、をキーワードにしながら話をいたします。
日本本土と沖縄、薩摩と奄美、基地のある自治体と無い自治体、本島と離島、明るい音楽と暗い音楽、青い空・海と戦争史跡、など沖縄ほど明暗がはっきりし、しかもそれらが重なりあっている、暗さの向こうに明るさがある(逆も)、それが沖縄です。
復帰30年間、日本政府は沖縄に約6兆円を投資しました(S47〜H11までに5兆8千8百万円)。巨額な税金が投下されたことは事実です。問題は、その内容と、効果です。
那覇市で目を見張るものに、建設中のモノレールがあります(建設費総額1.091億円、インフラ657億円、インフラ外部424億円)。延長13キロ、平成15年に完成します。だが、モノレールに乗る人は、少ないでしょう。膨大な赤字となり、5年ともたないでしょう。沖縄の友人は、「建設も破壊処理も沖縄振興!」と自嘲気味に語っていましたが、観光客は、ドアからドアに移動するのです。必ずレンタカーか観光バスに乗り、ホテルの玄関までいきます。また、何が悲しくて、沖縄まで来て、モノレールに乗らなければならないのですか。 沖縄住民も、まずは乗りません。駅の階段を昇る前に目的地についてしまうからです。

北部本部町の海洋博覧会跡地にでかけました。笹川良一のB&G財団の巨大な施設はほとんど廃墟になっていました。また、巨大でグロテスクな海上都市は、スクラップとして韓国に売られて今はありません。南側にあった蘭の花ゾーンは、閉鎖になっていました。20日(月)で、中国語を話す団体などがいましたが、会場内は閑散としていました。ところが、30年前に建設された水族館の東側に巨大な水族館(建設費約170億円)が新築中でした。延べ床面積17.600平方メートル、展示水量10.100トン、東洋最大級の水族館です。沖縄の海で、直接魚たちを観ることこそ意味あることなのに、わざわざ水族館でもあるまいし。今ある水俗館に一工夫加えるだけでもいいのではないだろうか。

海洋博記念公園の北となりには、沖縄で最も夕日が美しい備瀬集落があります。福木・防風林は、以前と変っていませんでしたが、集落内は寂れ、有料駐車場には、こわれた看板が立ち、車は一台も駐車していません。

国が沖縄に投資した金額は、道路整備事業に約2兆円、湾岸整備事業約6千5百億円と巨大建設・土木事業が主です。巨大事業を遂行できる企業は、沖縄にはありません。また、沖縄の地元建設・土木企業、また地元金融機関も巨額の債務や不良債権をせおっています。これらが倒産すれば、沖縄経済は崩壊、沖縄自民党は潰れてしまいます。ですから、政治的配慮から潰さないのです。

普天間基地の移設でも、地元経済は小さいので、表面的には、活気がでるでしょうが、
もうかるのはやはり本土巨大企業です。

わたしは、沖縄には、幾度もでかけていたのですが、今回、世界遺産にも登録された読谷村にある座喜味城址に初めていきました。お城というものは、どちらかといえば男性的で、威厳あるものですが、座喜味城址は、緩やかな曲線でできており、女性的です。この城址公園は、眺望が非常によく、360度、眺めることができます。南は、嘉手納空軍基地、東は知花弾薬庫から喜瀬武原演習地、北は、本部半島や先のサミット会場となったブセナ半島、西は東支那海と別名「象のおり」の通信施設。座喜味城址の周辺には、お城のような民家がいくつもあります。軍用地主の邸宅が多いようです。50年にわたって軍用地収入に依存している暮らしは、異常です。人間、働かなくても収入があれば、そこに依存してしまいます。人間精神の破壊が発生します。遺産相続の争い、生活態度は怠惰になります。こんな生活が50年も続いています。このようなことは、軍用地主のためにもよくはありません。

本島南部は沖縄戦の最後の激戦地です。今回、糸満市大度(おおど)海岸にジョン万次郎上陸地を追体験しにでかけました。ジョン万次郎は、今からちょうど150年前の1851年1月3日にアメリカから琉球を経由して帰国した偉大な人物です。万次郎がなぜ偉い人物か、については、ここでは語りませんが、万次郎が帰国した2年後の1853年、ペリー艦隊が最初に琉球王国に強行入港、上陸します。その後、江戸に向けて出航します。ペリー艦隊の詳しい動向についても、これ以上言及しませんが、150年後の今日まで、アメリカという国は、砲艦外交・武力外交を貫いております。アメリカは、万次郎、ペリーから今日まで帝国主義外交が一貫しています。

さて、わたしは、今回、4度目くらいになりますが、嘉手納町にある「安保の丘」に上がりました。佐賀県の中学生が修学旅行で、「安保の丘」から嘉手納基地を見学していました。わたしと同行した3人は、「安保の丘」は初めてだったので、あまりの広大さと戦闘機の爆音の大きさに驚いていました。わたしは、34年ほど前、ベトナム戦争の最中、ここからB57爆撃機が爆弾を翼の下までぶらさげて、次々と飛び立っていくのを写真に撮ったことを思い出し、感無量のものがありました。

アメリカ軍基地ですが、朝鮮半島、中国、アフガン、中東への侵略基地としての側面が強調されています。これは、間違いがないのですが、最近、少し違った報道がありました。アメリカ軍が沖縄に駐留することを、日本の軍国主義を抑制する、として中国、フリピン、韓国などが歓迎している、というものです。この意味することは、日本は隣国から信用されていない、ということです。アメリカが「日本犬」の首輪を緩めたり、締めたりするたびに、日本はアメリカには、口出しできず、顔色を伺う、まさに番犬です。数年前、橋本竜太郎が、「日本はアメリカの国債を売ることができる」とちょっと口をすべらした時のアメリカの逆上ぶりを思いだしてほしい。

9・11事件後、アメリカは、「正義」のカーボーイが、狂気になり、凶器を振り回す、困った存在になっています。へたにちょつかいをかけようものなら、「テロリスト」にされかねません。わたしたちは、こんな状況・環境下におかれているのです。

日高リポートのジャナリスト日高義樹が先頃、豊田市内で講演し、「アメリカは今後100年、沖縄の軍事基地を手放さない」、と断言しました。理由の一つは、「アメリカが中国に投資した権益の保障」、といっていました。

わたしは、今後、アメリカを徹底的に研究し、その実体を知ることが大切だ、と考えています。軍事だけでなく、経済、政治から食生活、映画、音楽などすべてを知りつくすこと。日本国だけでなく、日本国民一人ひとりが対アメリカ観をしっかり確立し、小さなことから大きなことまで、一つひとつアメリカと対峙し、小さなことから解決することをとうしてしか《沖縄の基地を撤去させる》ことはできないのではないでしょうか。

(おわり)