■ 佐野眞一著『あんぼん 孫正義伝』■

2014-02-28


佐野眞一著  『あんぽん 孫正義伝』
小学館
2012年1月

孫家の家系図
プロローグ
第1章 孫家三代海峡物語
第2章 久留米から米西海岸への「青春疾走」
第3章 在日アンダーグランド
第4章 ソフトバンクのかかれざる一章
第5章 「脱原発」のルーツを追って
第6章 地の底が育てた李家の「地と骨」
第7章 この男から目が離せない
あとがき
参考文献
渡久地政司の読後感想
わたしは、10年ほど前から著者佐野眞一の名前を知っていた。
NHK教育テレビで著者佐野眞一が民俗学者「宮本常一」を解説していたのを聞き、名前を記憶した。
同じ著者が「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」2008年を購入して読んだ。わたしは、「沖縄 だれでも書くことができなかった戦後史」と読み替え、感心した。
2013年、大阪の橋下市長取材をめぐってアクシデントがあった。詳細はわからないが、人物取材ではトラブルはつきもの、と思った。
そして、今、『あんぽん』を読み、著者に敬意を払う。よくここまで調べ、書いたものだ。

孫正義著『あんぽん』の読後、敗戦後からの在沖縄人・在日沖縄人のことを、書いておくことは意味があるのではないか、そんな強い思いが湧いてきた。
1945〜1947年ころまで、在日沖縄人、在朝鮮や中国、台湾、東南アジアやサイパンの沖縄人は、アメリカ軍の占領下にあった沖縄県に帰還が許可されなかった。
1947年〜1950年〜1965ころの在日沖縄人の暮らし、わたしの知る地域は、関西では尼崎市の国鉄尼崎駅と大物駅間、尼崎市の神崎川流域。名古屋市では現在の名古屋市緑区(鳴海町)。横浜市鶴見区。そこには沖縄集落があり、養豚がおこなわれていた。密造酒の製造も細々とおこなわれていた。職業は、沖縄料理、焼肉、建物解体業、日雇いなどであった。在日韓国・朝鮮人がヤミ金融、パチンコ、土木からダンプカーへと発展しているが、在日沖縄人は、不思議なことにヤミ金融やパチンコ業界への進出は皆無に近い。
沖縄からの密航は、1942年〜1950年ころまでは、あった。わたしは、沖縄の高校を卒業して密航してきた、という人の話を2例聞いた。また、わたしの従兄の場合、奄美大島で仕事をしていて、奄美が本土復帰したので、そのまま神戸に来て働いていた、ケースもあった。富村順一さんに密航船の話を直接聞いたが、「小型漁舟でも太いロープを2本流せば舟は安定する」、と言っていた。
さて、在日沖縄人の話にもどすが、1950〜60年代の沖縄集落では養豚、焼肉、ヤミブローカー、日雇いなどが主であった。小さな建設・土木業はあっても中堅には成長しなかった。1960年代の在本土沖縄県人会名簿を開いても、めぼしい企業はない。このころの在日沖縄集落で琉球舞踊や民謡も細々とおこなわれていたにすぎない。むしろ、沖縄芸能は日陰もの扱いを在日沖縄人自身もしていた。
さて、在日韓国・朝鮮人の凄まじいエネルギーを『アンポン』(似た作品に、梁石日著『血と骨』がある)から浴びて、在日沖縄人は、なんと「不甲斐ない」「情けない」存在か、とつくづく思った。在沖縄人も在日沖縄人も、「甘ちゃん」もいいとこ、凄みは「一欠けら」もない。政治家でも日本共産党書記長だった徳田球一から現在の仲井眞沖縄県知事、「しかり」。在沖縄の経済人は、背骨から身体・魂までみな抜き取られてしまっている。在沖縄人も在日沖縄人も「お人よし」、と言ってしまえばそれまでではあるが、地域性というか、民族性というか、歴史的なりたちが違っているように思う。
冬が過酷な朝鮮半島で、4〜5千年にわたって過酷な歴史から学んだ朝鮮民族と、真冬でも寒さが凌げ、餓死せずに何か食べることができる沖縄人とでは、歴史的に大きな違いが生じてきたのではあるまいか。
だが、わたしは絶望し、嘆いてはいない。
将来、沖縄も韓国・朝鮮のように、近隣の日本と中国を乗越え(無視し)て、地球規模で、大きく飛翔することだ。日本本土人という島国根性の塊の世界に「おさらば」して、世界へ飛翔することだ。
現在、在日韓国・朝鮮人の子孫の中に、その現象が起きている。その先駆けが孫正義だ。孫正義の意識には、韓国国籍から日本国籍へ、そして「意識の世界国籍へ」と移動しているように、この本から読み取った。
在沖縄人・在日沖縄人は、孫正義・在日韓国・朝鮮人から学べ。