■ 大野光明著『沖縄闘争の時代』 ■

2014-11-26

大野光明著『沖縄闘争の時代』―1960/70

2014年10月
4.104円
人文書院
「おび」から…
 未発の政治を模索し続ける者たちの、決して終わらぬ営み 
「敗北した運動が堪える、未発の政治」

 1972年5月15日、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還された。沖縄闘争とはその「本土復帰」前後においてさまざまな形で、アメリカ軍による占領と日米両政府の政策を批判的に問うた社会的・文化的運動である。
 本書では具体的に、ベ平連、大阪沖縄連帯の会、竹中労、沖縄ヤングベ平連、反戦兵士、沖縄青年同盟などを取り上げ、沖縄/日本/アメリカという分断を乗り越えようとした豊穣な思想性を、膨大な資料から丹念に拾い上げる。
 歴史に埋もれた数々の運動を掘り起し、ミクロな社会運動研究とマクロな国際関係史研究を接続。沖縄問題を、あの島の問題ではなく、私たちが生きているいまこの場所の問題へと転換する、新鋭による歴史社会学の熱き労作。
本書の目次
序章
第1章 沖縄闘争の時代
第2章 ベトナム戦争下の沖縄闘争
第3章 大阪のなかの沖縄問題の発見
第4章 復帰運動の破綻と文化的実践による沖縄闘争の持続
第5章 横断する軍事的暴力、越境する運動
第6章 沖縄闘争と国家の相克
終章

私的読み方
私的なことだが、沖縄闘争は、30〜40年前から頭の片隅の小さな引出に入ったままだった。
今でもそうだが、往事も私のまわりには、沖縄闘争について語りあい、作戦を練ったりする人物はいなかった。まったく孤立したところから、沖縄闘争にかかわっていた。
沖縄闘争の舞台は、沖縄であり、本土での沖縄(情報)は、東京と大阪がほとんどで、名古屋はほとんどない。まして豊田市となると、マスメディア情報以外まったくはいらなかった。往時、わたしは、豊田市議会議員として主として豊田市の地域闘争に忙殺されていた。そんな中で、わたしが沖縄に係ることを、豊田市の仲間は、豊田市での闘争を放棄して「沖縄に逃げた」として批判さえしていた。
行動を表現するのに、「点・線・面」がある。点としてのわたしは、忸怩たる思いで沖縄を眺め、点としてのわたしができる沖縄闘争を考えていた。そして、考えられる全ての点について、連絡をとり点と点を結ぶ。線になってもすぐに切れるような細い線だが、幾つかは結びつけた。しかし、面となることはなかった。1968年7月〜8月までのわたしの沖縄闘争はそんな「環境」の中でおこなわれた。
わたしの沖縄闘争は、本土の新聞や新左翼の党派が注目し、連絡をとってきたが、沖縄の2紙以外の個人、団体からのコミットメントはまったくなかった。今もってない。抹殺したのか、無視したのか、連絡をとる生活習慣がないのか、さっぱりわからない。
沖縄闘争がはるか昔のことになった4年ほど前、インターネットで韓国の研究者が、わたしの沖縄闘争資料を参考にしたい、と連絡があったのが唯一であった。
2014年11月9日、毎日新聞の読書欄の本の紹介で大野光明著『沖縄闘争の時代』を読み、インターネツトを検索し、即注文した。それから、かなり丁寧な読み方をして11月25日深夜、すべて読了した。ひさしぶりに気持ちのよい疲れを感じた。
わたしの知らなかったこともたくさんあった。沖縄ベ平連、沖縄青年委員会と沖縄青年同盟の分裂の過程などはまったくしらなかった。小さな出来事の数々もおおいに参考となった。とくに、膨大さ索引は、人物の氏名(人脈)は、沖縄闘争を今後調査研究する方々に寄与すること大だ。
本文について、以下書いてみる。


渡久地政司のホームページへ 渡航制限撤廃闘争 パスポート提示拒否1968年7月

つづく