■ 池上永一著『黙示録』 ■

2013-12-20
池永作品はほとんど読んできた。その惰性から購入、読み始めたが50ページくらい読み、退屈となり購入したことを後悔した。だが、我慢して読み続け、40%くらいから、これは大変な本だぞ、と睡眠時間を削って読みこんだ。途中で目次をきちんと見て12章プラス終章になぜなっているのか、月の満干がなぜ書かれているのかがわかったころからだぜん面白くなった。フィクションである小説はこうでなくてはならない。
わたしの勝手な推理であるが、著者は12章プラス終章に分け、登場人物についても前半に登場した人物でも後半に出てき、後半を書くために前半があり、後半から先に書いてもよく、全体がよく計算されていて、長編小説だが、全体をとおして無駄がない。よく考えられた構成となっている。太陽と月、善と悪、まじめと不まじめなど相対的に極端に分類しているが、どちらがよく、どちらが間違いと決め付けない。むしろ、マイナス、影、苦しみこそ人間生きていくのに必要不可欠なものだ、と言っている。
わたしは、20歳代のころは司馬遼太郎が好きだった、30代は山本周五郎が好きになり、40代には藤沢周平と移ったが、60代から老境になるにつれ周平も人生を達観した教科書のような気がして感動を覚えなかった。今は覚めている。
わたしが池上作品の殆どを読むのは、ただ「沖縄」が接点なのだが、わたしの精神生活の中で、今、大きな存在になっていることは確かだ。
今まで、琉球舞踊をただ眺め、観るだけであったが、これからはこまかい所作まで観ることにしよう。また、旅行者として潜り抜けてきた斎場御嶽(せーふぁうたき)を今一度、きちんと拝むことにしょう。そんな気持ちにさせていただいたこの作品に感謝。