■赤坂真理著 『愛と暴力の戦後とその語』■

2014-06-09







赤坂真理著『愛と暴力の戦後とそのご』  
2014年5月20日 第1刷  
講談社現代新書

2014年7月1日
《感想文  渡久地政司》

1 私的なことから書く。20歳代のわたしは、谷川雁と吉本隆明の本を読み、文体を真似たアジビラを書いて得意だった。雁と隆明の思想を理解したつもりだったが、今、少しも内容が思い出せない。隆明が「古事記」と「遠野物語」を参考にした『共同幻想論』、雁の『原点が存在する』の2つとも難解の文体だったが、一応読み切った。だが、今、思うと、雁も隆明も虚仮おどしの文章の扇動屋にすぎなかったのではないか、と思う。そして、彼らにいかれていた自分がなさけない。

2 赤坂真理著『愛と暴力の戦後とその後』を読んだ。彼女が対象としていた事件については、わたしは、大いに関心があったし、わたしなりに発言し、書いてきた。また、事件について、判断中止、棚上げにしてきた。その事件を、かくも明快に、しかもわかり易く解説し、嘆き悲しんだりもせず、優しい言葉で語っている。もうマイッタとしかいいようがない。60年安保も70年安保も連合赤軍も、わたしは総括をせずに、ただ放置してきた。憲法も3.11も、事件を自分なりに理解したつもりでいた。なにせ、『世界』をきちんと読んできたから。だが、それらが、漢字(Chinese characters)を、文字で読み、理解したつもりでいたが、その意味をまったく理解していなかったことを赤坂真理著『愛と暴力…』で教えられた。

3 本の構成

まえがき
プロローグ
第1章 母と沈黙と私
第2章 日本語はどこまで私たちのものか
第3章 消えた空き地とガキ大将
第4章 安保闘争とは何だったのか
第5章 1980年の断絶
第6章 オウムはなぜ語りにくいか
第7章 この国を覆う閉塞感の正体
第8章 憲法を考える補助線
第終章 誰が犠牲になったか
エピローグ  まったく新しい物語のために

YOKOHAMA2014 あとがきに代えて

4 わたしが気にとめたこと

P 38  真珠湾攻撃はだまし討ちではなかった、と極東裁判判決
P 41  1989年――昭和天皇崩御、天安門事件、ベルリンの壁崩壊   
P 64  漢字の英語表記は Chinese characters 読めなくても見ればわかる符牒
P 95  受験システムは受験勉強以外なんの役にもたたない
P138  大日本帝国軍は、戦線での戦死者より餓死・病死が多い、世界唯一の正規軍
P188 オウムは努力すけば報われる社会だった、オウムを笑えるか?自分だったかも
P226 アメリカの高校体験、学校が軍隊でなかった、(日本の学校は軍隊)
P263 真珠湾直後、鶴見俊輔の在米体験。「憲法草案」の優れている箇所
P264 民主主義は多数決と同じではない 議論を尽くし、探し、過程を残す
P266 (現行憲法は)美しく、精神的支えとなってきた
P278  神とは、物語、フィクションの最たるものかもしれない
P283 犠牲者を乗り越え、違いを乗り越え、より大きな共同体を慰め、力づける
P291 嘆いたらいい、東北、あなたたちのために私たちはがんばる

P299 あとがきー 母と手をつないだまま、街と夕陽にじんと浸されてゆく。