■ 昭和万葉集掲載・豊田市関係者
K13名掲載 ■

『昭和万葉集』収録・豊田市関係者・短歌調べ
2008-09-26掲載
作成者:渡久地 政司

作品調べの意図、対象と方法、利用

1  「昭和万葉集」収録短歌のうち豊田市に関係する作者とその短歌をまとめ、昭和という時代背景のもとで作者が自分の感性を短歌にどのように表現したのか、を学ぶ。
2 豊田市に関係する作者とは。生まれた、一時期生活した、短歌会に所属した(例:「欅」掲載)、地名を詠んだ、先祖が豊田市、関係する根拠がある等。
3 この作業は、一人で行なえるものではないし、個人の「所有物」でもない。従って、情報はすべて無料で開放される。利用者は、必ず連絡いただきたい。
                            作成者・コメント:渡久地 政司

『昭和万葉集』 講談社 全20巻・別巻1

収録の対象、分類方法、『昭和万葉集』1巻

1 本全集は、昭和元年から50年までの間につくられた短歌を対象として、一般投稿歌、依頼出詠歌を対象として、各種資料から発掘歌等々を選者の選をへて編纂した。 2 収録作品は、作歌年(作者本人の申告もしくは初出掲載誌発刊等)によって分類し、年代順に巻分けを行なった。 3 各巻内は、作品のテーマ、素材により分類・配列した。

                      飯田 柿郷 (いいだ・しごう)

    本名・信雄  明治33年生まれ 大垣中学 トヨタ自動車
 16巻(昭和45年〜四十六年)
  P212 〈春.〉 『沙羅』(昭和45年6月)
 ●  やまつつじかがやく道を上り来て朝露ふくむわらび摘みたり
コメント― 『欅』(9巻 P10) (16巻 P5)に作品が掲載されている。
                    豊田市井上町

                    河合 マス (かわい・ます)

           明治40年生まれ 主婦
   18巻(昭和四十八年)
    P136 〈農に生きる〉   アララギ(50年3月)
 ● 小作権たやすく返すと電話あり耕す術(すべ)のなき老い我に
      コメント―作者の短歌が豊田文化協会短歌部会篇『欅』に毎年、掲載されている。
                    豊田市小坂町

小林いさ江 (こばやし・いさえ)明治43年生まれ 主婦 「アララギ」

       14巻(昭和三十九〜四十二年)
                    「アララギ」(昭和40年5月)
 ● 明時(あきとき)を一人勤める給食室小(ち)さき燈(ともし)を唯に頼りて
                    「アララギ」(昭和41年2月)
 ● 狭心症の母が臥す北棟二〇五号日に三度ゆく配膳車押して
   15巻 (昭和四十三〜四十四年)
      〈農作業〉「アララギ」(昭和43年9月)
 ● 根を洗ひ束ねる苗の匂ふなり峡田(かひだ)に遠く日の沈みゆく
      〈商い歌〉「アララギ」(昭和43年8月)
 ● 花を売る店に働きひと日暮れ菊のかをりする手を洗ひゐき
                        豊田市小坂町

中川 吉一  (なかがわ・よしいち)

               明治45年生まれ、名古屋鉄道勤務、岡崎交通支配人。「豊田短歌会」
       9巻 (昭和二十五〜二十六年)
    P140 〈住宅難〉   「アララギ」(昭和26年8月)
 ● 春日ざし延びきぬ喜びしみじみと電燈なき家の夕餉に思ふ
                名鉄挙母駅・若林駅勤務。晩年知立市に移住。
森 米子 (もり・よねこ)

            大正13年うまれ 漢口陸軍病院看護婦養成所卒、陸軍看護婦とし従軍、「豊田市短歌協会」
  7巻 (昭和二十〜二十二年)
    P140 〈復員を待つ〉   「暦象」
 ● 日に幾度復員船はまだかと問ふ兵の脈拍結滞(みゃくはくけつたい)が見ゆ
                 豊田市金谷町

村井 博 (むらい・ひろし)

            昭和4年生まれ  岡崎高師卒 豊田高等工業専門学校教師
            挙母高校教員(昭和28〜34年)
   16巻(昭和四十五〜四十六年)

 P55  〈さまざまな思い〉 『コスモス』(昭和45年8月)
 ● 論旨なき言葉を酔へる如く吐くその一つ「革命の核になる」
       コメント― 『欅』(9巻 P90)に作品が掲載されている。刈谷市。
佐野 年貞 (さの・としさだ)

    昭和4年生まれ トヨタ工業高等学園卒 トヨタ自動車 「アララギ」→
      10巻(昭和二十七〜二十九年)
 P24  〈戦力なき軍隊〉 『アララギ』(昭和28年4月)
 ● 軍艦大砲戦車もあります今に戦争反対などと言へなくなりますよ
                           豊田市長興寺

角谷 桐松 (すみや・きりまつ)

         明治39年生まれ  トヨタ自動車、協豊製作所
   11巻(昭和三十〜三十一年)
    P117 〈オートメイション〉  「アララギ」(昭和33年9月)
 ●  二十年間つとめし後にきたりしものオートメイション化と停年と(注)
       (注) この作品は、角谷(かどや)桐松として掲載されている。
   12巻(昭和三十二〜三十四年)
 P126  〈職場にて〉  「アララギ」(昭和33年5月) 
 ● 掌に無数にささる鉄切粉木綿針あたため互に抜き合う 
   14巻(昭和三十九〜四十二年)
  P38  〈交通事故〉   「アララギ」(昭和41年6月)
   ●  三十余年間自動車をつくり来しわれこの自動車に妻は殺さる
             コメント― 当事者でなければ詠えない、収録されるだけの価値ある作品。
『欅』(9巻 P55) (14巻 P84) (16巻 P78)に作品が掲載されている。
豊田市明和町

  佐野 敦勇(さの・あつお)

    大正5年生まれ  昭和12年応召・中支転戦15年帰還 
     愛知時計、トヨタ自動車 
   10巻(昭和二十七〜二十九年) 

 P159  〈工場で〉 「アララギ」(昭和29年8月)   ● クレーンカーのエンジンの癖こまごま告げ新しき職場に吾が替りゆく 
     13巻(昭和三十五〜三十八年) 
  P166   〈愛の歌〉 「アララギ」(昭和38年8月) 
 ● 塀の下に残業終るまで待ちしといふ濡れし肩抱き傘を受け取る
       20巻(昭和五十年)
  P157 〈父を偲ぶ〉 「アララギ」(昭和50年8月) 
 ● ありし日に父のせしごと畑隅に塩撒(ま)きて新しき鎌卸(おろ)したり 
                              豊田市長興寺 

簗瀬 一雄 (やなせ・かづお)

          明治45年  早稲田大学文学部卒 豊田工業高等専門学校
 12巻(昭和三十二〜三十四年)
  P267  〈海外旅行〉「白真弓」(昭和45年)
 ● 説明を終りし僧はうづくまり白き巾(きん)もて頭(づ)を包みたり
 14巻(昭和三十九〜四十二年)
  P276  〈獄中の歌〉「白真弓」(昭和45年) 
 ● 幾巻(いくまき)の経写しけむ腕貫(うでぬき)の白施(しろあしぎぬ)はいたくすれたり
20巻(昭和五十年)
  P254   〈いきものたち〉 「」()
 ● 曳き下る杉の大木のあとしるし休みし牛は又追はれ行く
     P304  〈日々の感慨〉「」()
 ● 背の割れし辞書いたはりて繙(ひもと)けばいつ書き込める語例の一つ
                      大府市(H20年9月・ご健在)

中野 嘉一 (なかの・かいち)

         明治40年豊田市前林生まれ 慶応医学部卒 軍医を経て神経科開業医   歌集・「秩序」(36)、「メレヨン島の歌」(55)
 1巻(昭和元〜五年)
       〈モダニズム〉     「」()
 ● うつすらと月さしてゐる粗壁(あらかべ)に青き馬追ひなきつぎにけり
   ● 外光の明るさはもう春らしい地下室のまどで切片染めてゐる
 ● これが薔薇の花であるかといつて雀が一匹垣根を越える
 ● はてしなき目蓋(まぶた)の奥よ!紐の如き太陽のゆれがある日大仕掛けだ
 2巻(昭和六〜八年)
 P107  〈ロス・オリンピック〉 「詩歌」(昭和7年10月)
 ● 飾るしづかなる天体に昇り人人は鋼鉄(はがね)の腕とOLYMPICの旗を
  P291  〈口語短歌の試み〉    「詩歌」(昭和7年8月)
 ● 木車にはかなき雑草を積み十年経つと日が昏れてゐた
  3巻(昭和九〜十一年)
    P51  〈武力鎮圧へ〉  「秩序」(1936年)
 ● トラックが走り続いた。爆音のなかに慄(ふる)へる野鼠(ねずみ)のような群集の表情
    P111  〈東郷元帥国葬〉  「昭和10年度版 年刊歌集」(10)
 ● 国葬の日の静かな街。雲の巻毛(かある)の内に入つた様に鳩が啼いて居る…
   P270 〈山に歌う〉  「短歌研究」(昭和9年4月)
 ● 電柱の列がしづかに山を越える無数の小禽(ことり)も山を越える
  6巻(昭和十六〜二十年)
      P171  〈阻塞気球〉 「詩歌」(昭和17年3月6日)
 ● 気球空(そら)ふかくのぼつてをり。この國土(こくど)しづかに護(まも)られてゐる
 ● 警戒警報発令中 空しづかに鯉(こひ)のぼりいくつも遠くの村にはためき
  15巻(昭和四十三〜四十四年)
     P76  〈ある時〉   「詩歌」(昭和44年5月)
 ● 芽ぶいた植物のふかい襞(ひだ)と襞 そこに日のあたる墓地を探す

        コメント―中野嘉一は刈谷中学から慶応大学医学部卒。前林の旧宅跡は、元豊田市議・中野松治邸になっている。
 中野嘉一は、メジャーな医師であり、文学者であり、文芸評論者でもあった。
 軍医としての著書『メレロン島−生と死の記録』は、吉田満著『戦艦大和の最後』と共に戦記文学の名著。『太宰治―主治医の記録』は、太宰研究にとって不可欠の1冊。膨大な「前衛詩」の研究書、その著書を積み上げただけで研究者に絶望させるくらいの質と量。豊田市中央図書館には、著者寄贈本が揃っている。
 安田幸市氏(中野嘉一のこと「新三河タイムス」平成12年1月6日号)(若林東町)の母が従兄妹。

三宅千代

          大正7年1月7日 名古屋市に生まれる。掲載短歌は、昭和20年代、疎開先の旧小原村松名でよんだ。
 夫を迎える

  『昭和万葉集』7巻 三宅千代 所属 詩歌(21.8) 歌『影なき樹』45
 ●  よりそえば体愛(からだかな)しく匂(にほ)ふなりたしかに夫は帰り来ませり
 ● わが胸に置かれし夫の掌(手)の温(ぬく)み夜半(よは)に幾度(いくど)も醒(さ)めてたしかむ
(注) 三宅千代さんは、旧姓杉田千代。杉田久女の夫とは遠縁。昭和20年、小原村で久女の葬儀に参列。その時の記憶を「新三河タイムス」紙に掲載。