■ 荻生徂徠自身が祖先の地と書いていた
D 大給城と荻生徂徠 ■

2006年1月1日

T E大給城と荻湯徂徠

      大給城址と荻生徂徠
渡久地(toguchi) 政司
 2004年03月13日

  「大給と荻生」は同じ。荻生徂徠の先祖は、松平大給の城主か?

  1980年夏、わたしは、荻生徂徠の先祖は松平大給の城主か?と問題提起をした。 しかし、荒唐無稽の戯言と思われてか、研究者からは、無視されてきた。 だが、この無視は、今、思うと、観光・商業宣伝に使われずに済み良かった。

  さる3月13日、儒学研究者・中条泰彦師は、大給城址を訪ね、師の研究資料を元にして、 「荻生徂徠の祖先は、松平大給の城主であったか、または関係者であろう」と語った。

その根拠について、資料を掲載する。
 1.「大給」
三河国賀茂郡大給の出。寛政系図に「加賀守乘元は親忠(ちかただ)の二男、賀茂郡大給に住むことにより、大給松平と称す」。 また、「もと荻生氏で、物部弓削連季定、頼朝の時、賀茂郡荻生庄の地頭。十一世孫季統、松平信光と戦い敗れる。孫乗元、 親忠の婿となる」。
 2.「荻生」
 物部氏族、家伝に「清和源氏加茂義綱の後裔、子孫物部流荻生と改める。 荻生徂徠の直筆の「親類竝由緒書」(写真)

   高祖父、荻生少目、参州荻生の城主、長享十二年彼城開渡、…。荻生称号、少目と申候名、三州に於いて由緒之れ有候に付、後 松平和泉守殿御家相伝、荻生の文字或いは大給に作り候。曽祖父…白子に居る。…祖父、荻生玄甫…江戸罷在候。
 3.「荻生氏略譜」
物部姓荻生氏、…。加茂次郎義綱より二十一代荻生出雲守卿忠、長亨二(十二年)年、三州兵乱の時、本城没落ゆへ由緒を以、 勢州白子国司北畠政卿方え引取、…・  4.「荻生徂徠」(広辞苑より抜粋)
荻生徂徠(1666-1728)ー江戸中期の儒学者。本姓は物部。江戸の人。初めは朱子学を学び、のち古文辞学を唱道。


   〈コメント〉
荻生と大給は同じ。
荻生徂徠の高祖父が大給城主であったかどうか、疑えれば疑えれる。実証はできないが、逆に、「ではない」ということも実証できない。
中条泰彦師がいうように「城主かそれに関係する人」であったことは、確かだろう。