衝撃の講演録!

■ 山本二三丸教授の講話 ■


2006年8月31日
マルクスは間違っていた
2006-8-31掲載

第3講話

山本二三丸元愛知大学教授講演 
名古屋市名鉄グランドホテルにて
2006-7-10
メモ責任:渡久地政司
@ メモ書きからの要旨・抜粋。
A 聞き取り能力不足から正確なものではない。

講話
93歳までよくぞ生きてきた。そろそろと思っている。目が悪くなければ、100歳までと思っていたが…。
愛知大学で70歳まで教鞭をとり、自分はえらそうに共産主義について、(講義で)間違ったことを申し上げてきた。今、後悔しています。申し訳ないという気持ちでいっぱいです。マルクスの言っていることは、間違いだということに気付きましたが、今、目が悪くなって書けなくなってしまいました。マルクスの『経済学批判序説』は、まったくデタラメが書いてあります。マルクスは、社会は生産力と生産関係の矛盾が衝突して革命が起き、新しい社会にとってかわる、と言いましたが、まったくデタラメ。原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義、最後は社会主義(共産主義)と発展すると言ったが、まったく間違い。それを得意になってみなさんに申し上げたが、まったくの間違い、申し訳ありません。当時、久留間鮫蔵先生に惚れ込んでいたので、久留間さんも、マルクスの社会発展(唯物史観)論に感心していて、わたしも感心しておりました。

10年周期で起きていた世界恐慌も1924年を最後に起きていない。

マルクスは、共産主義者同盟をつくったが、支持者はヨーロッパでは広がらず、ニューヨークに移っている。

資本主義社会から共産主義社会に移行の説明だが、個人的所有が共同的所有などに移行などできるはずがない。

マルクス著『ゴーダー綱領批判』―わたしは昭和4年に一高に入学、11年に東大を卒業したが、一高の時、わたしは人格主義で相手はマルクス主義。この論争でわたしは負けた。『ゴーダー綱領批判』の美文・文章にすっかり感心してしまいました。

マルクス著『経済学批判序説』―〈貨幣がなくなり、働きに応じて分配する〉…これはデタラメ、こんなことはありえない。マルクスの言っていることは、全部正しい、として宣伝したが、間違い。原始共産制、奴隷制、封建制…、経済史をちょっと読めばわかることだが、間違ったことを教えて申し訳ありませんでした。

中国に3回行った。中国で、原始共産主義の遺跡を見学した。地面に掘った小屋から生産と生産関係の矛盾などおこりようがない。原始共産制社会から革命など起きようがない。

スターリン、フルシショフ、日本共産党、ソ連一辺倒。

ソ連共産党20回党大会でフルシチョフは、「あと20年たてば共産主義社会が実現する」と言った。まったくの間違い。その時、日本共産党の袴田里見は、絶賛した。 …
訳者名を削った。
わたしが翻訳した文庫本エンゲルスの『空想から科学へ』大月書店だが、山本二三丸の名前を(訳者に無断で)削った。共産党本部の指示だ、実に汚い。

伊藤律について。
伊藤律は学年が1年下だが、中国に行った時(山本二三丸が)、中国側から聞いたが、「日本共産党が返すな、といったので預かっている」、と言っていた。中国は、「可哀想だから」、として律を日本に帰した。昭和11年ころ、伊藤律、尾崎秀実と食事をしたことがあったが…。律は目が見えなくなって帰国した。律は実に可哀想だ。日本共産党は実に汚い。

宮川実教授(立教大学大学)弾劾。
わたしが宮川実教授の女性問題を糾弾しようとしたところ、宮川実教授が先手を打って、わたしが金のために共産党に入った、と査問会議を開いた。そこに共産党中央から紺野与次郎が現われ弾劾状を読み上げ、有無も言わさずわたしを党活動停止処分にした。共産党員はみな沈黙。日本共産党は実に汚い。

イラクで戦っている人々は、アメリカの弾圧で目をくりぬかれても、自分の信念を曲げない。知識を持っているわけではないのに自分の信念でしゃべらない、白状しない。
わたしは、大学を出て、大学でしゃべっていた。かつて共産党、共産主義は正しいとして講義をしたが、間違いだらけであった。今、自分を責めています。本当に申し訳ないことをいたしました。お許しいただきたい。

第1講話
2000年3月8日(土)
名古屋名鉄グランドホテル
記念講演「わが90年の人生を回顧して」
山本二三丸元愛知大学教授
メモ責任:渡久地 政司
@ メモ書きからの要旨・抜粋。
A 聞き取り能力不足から正確なものではない。

講話
マルクスは誤謬がないとしてきたが、やはり誤りがあった。
「最後の鐘が鳴る…」、マルクス著『ゴーダー綱領批判』は、誤り。
歴史的未来を指し示す、…歴史…将来のことを規定する…。
貨幣物神性による人間世界…、マルクスの共産主義社会を示すものは、働きに応じて分配する、このようなことはあり得ない。今、生きている人間にあり得るかどうか。他人のために犠牲になって働く者はいない。
この貨幣の物神性の支配は続くと思う。
わたし(山本二三丸は)『人間経済学』を書いた。人間こそが大切。その人間が貨幣の物神性によってふりまわされている。貨幣の物神性を明らかにしたことはマルクスの功績である。貨幣によって、世界中の人間が殺され、ふりまわされている。貨幣の物神性を排除することは、おそらく無理だと思う。
マルクスが優れているのは、貨幣の物神性によって人間が支配され、ふりまわされ、貨幣をにぎった者は、人間を支配…、これを明らかにしたことは、マルクスが優れている。
資本…貨幣もなくなり、…共産主義は夢想であり、間違いである。

わたしは『人間経済学』を書いた。ひとつとして間違い、訂正することはない。

戦前、満鉄調査部戦力調査班…有沢宏巳さんがキャップで、再生産論で日米経済対比を行い、日本が敗れることを明らかにした。

マルクスが間違ったこと。生産力が一定の高さになると…アジア的生産方式になる、と言ったマルクスは正しくはない。生産力が高まれば、…原始共産制、奴隷制、封建制…生産力が高まって、革命など起きたことはない。資本主義になって、機械によって物が有り余るようになり、物が出来すぎて困った…。
資本論24章…
貨幣の物神性に支配された人間は、すべての人がすべての人のために労働をする人はいない。生きるためには、他人と衝突せざるを得ない。
ゴーダー綱領批判でマルクスは、ラサールを訂正したのだが、私的所有がなくなる、…これはない。貨幣を得るために苦労し、…。
社会の矛盾…この社会を働く者の幸せな社会にしたい、と思うのは当然である。
私的所有がある限り、貨幣の物神性はなくならない。
一番大切なことは、人間である。

久留間鮫蔵さんの好きな漢詩に、杜甫の「房兵曹の胡馬」がある…。

ゴリキー、ツルゲーネフ、チェホフが好き。

第2講話
2005-10-15

「山本二三丸先生と語りあう会」
名鉄グランドホテル
メモ責任:渡久地 政司
@ メモ書きからの要旨・抜粋。
A 聞き取り能力不足から正確なものではない。

講話
共産主義の考えがどう間違っていたのか。気が付いたことを勝手にしゃべらせてもらいます。13冊本を書いたが、右目がつぶれ、もう書けなくなった。
自然科学と社会科学の違い。社会科学・歴史科学は大変むつかしい。科学のあり方、法則をとらえることは、至難。自然科学は、…事実があるが社会科学は絵にかいたようにはいかない。おかしいものも、…わたしは申し上げ、…現在の社会のありかた、資本主義がどうなっているか、考えていただいて、あなたがたの生き方に生かされれば、と思っています。
(満鉄調査部)有沢宏巳さんが主任、戦力がどれくらい持ち応えることができるか。有沢さんの研究結果、4年後は惨敗…、となった。アキマル中佐…「理屈はどうであれ、日本には神風が吹く…」。ヨーロッパと中国の地図、ナチスの旗と日章旗を動かし…、バカな地図をつくって喜んでいた。その連中、その残党が今でも残っている。
社会科学は大変むつかしい。

…人柄がよいのは徳田球一だけ、野坂、志賀は、まったくひどい男。
…京大の井上清は、太っ腹。志賀の細君をこてんぱんにやっつけた。
…賃金と賃銀 との違い。
…山口左派。

マルクスの言っていることで正しいのは、
貨幣の物神性、貨幣が資本として活動する、これだけが正しい。後は、全部間違い。
マルクスは、共産主義について考える切っ掛けは、いろいろあると思うが、1825年に世界恐慌が始まった。世界経済は10年ごとに恐慌を繰り返した。
繁栄→ 恐慌→ 復活→ 繁栄を繰り返した。
マルクス著『経済学批判』、唯物史観は全部デタラメ。……生産力は一人で発達しない…。原始共産制→ 奴隷制→ 封建制→ 資本主義→ 社会主義
こう言うことは、絶対ありえない。〈私的所有から共同所有、貨幣はなくなる〉とマルクスは言ったが、貨幣は絶対になくならない、そのようなことはあり得ない。
共産党、スターリン、フルシショフ… 間違いだらけ。

貨幣の物神性、貨幣によって人間が支配される、これだけが正しい。

中学4年→一高→東大… 共産党に入って、この社会のあり方、人間のあり方、を本当に考えた。若い時は、夢想…考えたのだが…、現在の様相をみると、共産主義に近いものは、1つもない。
中国に3回行ったが、集団農場は崩れ、個人になっていた。厳しい締め付けをしても人間は簡単には能力に応じて働き、必要に応じて分配…できるわけがない、現在は資本主義とまったく同じ。共産主義はそう簡単にはできるものではない。

貨幣は物神性というものにどうしてなったのか、どうしたらセーブできるのか、私的所有をなくして、貨幣をなくして、共同所有にする、は通用しない。

人間の生き方をもう少し考える必要がある。
宗教は好まないが、今、イラクで起きていること、アフガンで…宗教の力というものを考えてみなければならない。
人間は大変な動物で、簡単に人間社会を改造することはできない。

わたしの半生、…18才で共産党に入って、…その中で伊藤律、尾崎秀実と三人で酒を飲み交わした。人間の大きさは、…やはりものを言う。
人間というものについてよく考えて…。

名古屋…一番喜んで、生きがいを感じている。…勉強したことは尊いことだと思う。

渡久地政司の雑感

コミュニズムへのこだわり
○ 1958年4月〜61年2月までの4カ年間※、山本二三丸教授の指導の元で「マルクス・レーニン主義」を学んだ。
※ 58・59年はYゼミの影響下にあった研究会。50〜51年は、Yゼミで直接。
研究会でのテキストは、マルクス『賃金・価格・利潤』、マルクス『共産党宣言』。ゼミでは、エンゲルス『空想から科学へ』、スターリン『レーニン主義の基礎』、レーニン『帝国主義論』であった。山本二三丸教授は、ノートのとりかたから指導した。そして、パラグラフごとに細かく解説した。授業は週1回ではあったが90分まるまるつかった。その時のノートが今も手元にある。山本二三丸教授は、43〜47歳の働き盛り、大人としての分別も一番できていたころであった。
○ 山本二三丸教授が「マルクスは間違っていた」、と発言したのを最初に聞いたのは、2000年3月8日、名鉄グランドホテルでの講演であった。その時、マルクスで残るところは、『資本論』の最初の部分、貨幣の物神性だけ、と。そして、レーニンの『ロシアにおける資本主義の発達』はまったくデタラメ、と厳しい言った。
○ わたしは、20代前半のころ、史的唯物論の下部構造と上部構造の説明図がすっかり気にいっていた。それは、文章ではわからなかったが、説明図は、記憶でき、描くことができた。しかし、そのころ、カール・ポッパー著『哲学の貧困』を読み、同書を理解はできなかったが、同書の解説に、〈史的唯物論(唯物史観)は間違いだ〉、と書いてあったことを当時から知っていた。
○ レーニンの著作は、45年前に山本二三丸ゼミで使用したテキスト『帝国主義論』しか読んでいないが、1章から5章までは、非常に分かり易く、一貫性があり、この論文は、今も「生きている」のではないか、と思っている。2006年の世界地図は、レーニンが指摘した先進国・帝国主義の世界の支配と分割、そのものではないか。
○ 「コミュニズム」―今、漠然とした「コミュニズム」についての考えではあるが、マルクスが描いた、ヨーロッパ思想としての「コミュニズム」は、「空想」でしかなかった、と思う。ヨーロッパ思想と書いたが、アラブ、ユダヤ・キリストの一神教的世界では、と置き換えてもよい。ここでは人間的な「コミュニズム」は、生まれないと思う。
○ 東洋的「コミュニズム」―「コミュニズム」の内容が問題だが、曖昧模糊とした「共生社会」が、東洋には、小規模だが、時代をこえて各地にあったように思う。多くの問題をかかえている、(あって当然だが)、三重県に本部のある山岸会などに東洋的「コミュニズム」の、その萌芽みたいなものはありやしないか、と仄かな期待を抱いている。山岸会が、「山岸会の実顕地は天国で在野は地獄」「実顕地に入るか入らないか」の二者択一を迫る、のは誤り、と思うが、山岸会の評価については、少なくとも百年後でもよいのではないか。破綻した西洋型「コミュニズム」の概念とは、縁もゆかりもないようなものだろうが、東洋的包容力のある「共生社会」が、その萌芽みたいなものが、そこにあるかもしれない。
○ 8月11日、78歳の老ヘーゲル研究者と話をする機会があった。この会見の直前、翁は、メールで次のようなことを伝えてきた。
「マルクスは観念論者であり、ヘーゲルこそが唯物論者である」、と。そして、わたしが一番関心を寄せていたところを引用していた。
「…机が商品として現われるや否や、感覚的にして超感覚的な物に転化する。机はもはやその脚で立つのみでなく、他のすべての商品に対して頭で立つ。そしてその頭から、狂想を展開する、それは机が自分で語り始めるよりはるかに不可思議なものである」(資本論・第一章第四節、商品の物神的性格とその秘密)。
資本論の最初の部分、「物質・机」に「目に見えない・価値」が〈すり込む〉ことの説明は、まさに観念論そのものではないか。マルクスについても、既成概念にとらわれず、検討しなおすことが大切だ。(未完)

山本二三丸先生を偲ぶ会

2013年3月11日掲載
2013-3-10 名古屋駅前の名鉄グランドホテル・涵梅舫(カン メイ ホウ)で山本二三丸先生を偲ぶ会がひらかれた。
東京から大学予科入学ころの卒業生ら関係者33名が用意された献花台の遺影に白い花を添え山本先生のありし日をしのんだ。
山本先生はマルクス経済学の厳密な検証において大きな功績があった。しかし、現実の世界経済、世界の社会主義国の崩壊など、理論と現実の乖離は大きく、大きな課題を残して2011年末98歳で逝去なさった。
理論と離れて、人間山本二三丸に薫陶をうけた人も多く、ありし日の先生との思い出の数々がかたられた。
しかし、先生が晩年に発言なされた「マルクスとレーニン」の誤りについては、だれもが触れなかった。
わたし(渡久地)は、遺されたこの課題について、いつの日にか、ここに掲載するつもりだ。