■ 違法支出された退職金が返還された
C お手盛り議員退職金返還闘争 ■

2006年1月13日掲載
 U 市議会議員として C違法退職金返還闘争

豊田市雑文録

U 市議会議員として

C お手盛り退職金(昭和38年〜40年)

   渡久地政司26歳〜27歳。
 昭和38年4月に任期が切れた豊田市議会議員に違法な退職金が支出されたことに対し、監査請求、公開質問状提出、名古屋地裁へ訴訟、和解、そして監査委員辞任まで。
 この闘い(裁判)は、鞍ケ池市有地ゴルフ場化反対闘争、市議会議員報酬引き上げ反対闘争、議員野球への公金支出は違法とする監査請求等々、一連の闘いの一つとして議員退職金闘争が位置づけられた。 これら闘いのいずれも、弁護士に相談することはしなかった。名前を知っている弁護士は、全て共産党系であった。
鞍ケ池・議員報酬 の闘いは、阻止することが出来ず、敗北であった。負け癖が出てはいけない、小さなことでも勝利しなければ、
というグループの焦燥感も生じていた。その時、議員への違法退職金支出を発見した。
 昭和39年12月〜40年2月の真冬、雪のちらつく中を名古屋地方裁判所の玄関を(殴りこみをかけるようなつもりで)くぐった。心細さと緊張とで身震いした。裁判のことは、まったくわからない。ただ、正義はこちらにあり、の意気込みだけが支えであった。市側の弁護士から訴訟手続きの不備を指摘されたが、「ああそうですか」と開き直った。
 そして、驚くことに、この闘いは勝利した。
 裁判闘争へ1の力を投入すれば、 市民運動に5くらいの力を注ぎ、大量のビラを撒いた。違法支出された56万円が、長坂貞一個人(市長)から豊田市に返還された。この責任をとって大竹千明監査委員が辞任した。
 その時の記録は『退職した豊田市議会議員への慰労退職金支出は違法であるので返還せよ、とする訴訟』として昭和55年4月パンフレットとして出版した。
 ここでは、甲1号証 として提出した「私記」の全文を掲載する。

 私記
   豊田市議会議員  渡久地政司

 訴状の提出にあたり、なぜ出訴に至ったかの理由とそれまでの経過について説明します。

 前豊田市長長坂貞一氏は、、昭和38年7月4日に、昭和38年4月まで豊田市議会議員であった石川佐一氏外27名の退職議員1人当り2万円を、昭和38年一般会計9款1目自治振興費2目需用費8節報償費から支払いました。
 この支払いは、昭和38年5月から豊田市議会議員をしている原告渡久地政司らには全然知らされず、もちろん表彰式なども行なわれなかったので、その実態がよくわかりませんでした。だが、昭和39年7月14日最高裁判所第3小法廷(石坂裁判長)て゛開かれた「芦屋市の競輪事業10周年記念品代贈呈行政処分取り消し請求事件」の上告審判で「地方公共団体が記念行事などのとき関係議員に記念品などを贈ることは社会通念上、儀礼の範囲にとどまるかぎり禁止されているものではない。しかし、この事件の場合、記念品料の支給の趣旨、態容、金額、人員などの点からみて儀礼の範囲を越えるもので、違法である。内海市長は芦屋市に24万円を支払え」との判決があったことを知り、昭和38年4月まで豊田市議会議員であった石川佐一氏外27名が名目はどうであれ退職金をもらっているのではないか、という疑問を持ち、直ちに調査活動に入りました。まず昭和39年8月初めに退職議員数名に遠まわしに質問したところ、ひたかくしにかくしていましたが、「受け取った」ということを間接的に認めるような発言があり確信を深めました。しかし残念なことにはその証拠がありません。そこで8月末に加藤正一豊田市議会事務局長に質問したところ、「そうゆうことは全然知りません。議会事務局は全然ノータッチです」と真剣な顔できっぱりいいます。で、「本当か」と念を押しますと、「間違いありません」とはっきり断言しました。
 続いて、篠田好美現豊田市助役(当時豊田市総務部長)や退職議員ら数名その他からいろいろ聞いたところ、 昭和39年度一般会計予算中報償費から1人当り2万円が支払われていることがわかりました。
 当時私は、日本農民組合豊田支部長の岩月義光氏、労組役員天野義男氏ら3人で議員のお手盛り報酬値上げ反対の条例改正直接請求署名運動を行っていました。この署名は法定必要数の3倍以上もあつまり、遂に臨時市議会を8月21日に召集させることに成功しましたが、私は全力をこれに注ぐため「退職議員への2万円支払い問題」は一応棚上げにしておきました。しかしこの臨時市議会では圧倒的な市民の声と良識は無視され、お手盛り報酬値上げは合法化されてしまったのです。そこで私はあえてこの暴挙に出た市理事者や議員に強力な反省を求めるため、それまでは表立たせなかった「退職議員への2万円支払い問題」を公然ととりあげることにしました。
 従来、当市市議会議員は議員であるがための特権意識が非常に強く、公費で北九州市まで野球をやりに行き、別府温泉で遊んで帰りには瀬戸内海を遊覧したり、あるいは公費宴会視察という名の物見遊山の旅行、お手盛り報酬引き上げ等々市民のひんしゅくをかうことが多かっただけに、この特権意識に反省を求め自治体の議員でありながら自治法をふみにじる行為をただすことは、きわめて重大な意義があると考えたのです。
 9月の初め、市議会議長の杉浦勝男氏と議長室で会い、「退職議員に1人当り2万円が報償金という名で支出されているが、これは実質的な退職金だ。地方自治法第204条で退職金は支出できないことになっており、最高裁の判決から考えても明らかに違法なので、近く豊田市監査委員会に違法行為禁止の監査請求を行うつもりだ。だが、それ以前に退職議員が市に返還すれば監査請求は行わない」という意味のことを言ったところ、杉浦議長は「そうゆうことがございましたかね。全然記憶にございません」と言いますので、「支出され、退職議員が受け取っていることは事実です」というと、「まあ、なにぶん昨年のことです……」としらばくれ、「会議がありますので……」と退席してしまいました。杉浦氏のこの態度には腹が立ちましたが、ここで大声を出してもはじまりませんので、早速監査請求の書類作成にかかり、名古屋大学医学部学生鈴村鋼二君と2人で、昭和39年9月7日に、市監査委員に違法行為禁止監査請求を行ないました。
 当時市監査委員会は、学識経験者として加茂信用金庫常勤理事鈴木憲一氏と市議会から選ばれている稲本義一氏の2名でした。しかし、稲本義一氏は昭和38年4月まで議席があり、(続いて再選)、報償金として2万円を受け取っているので、地方自治法199条の2の「直接利害関係のある事件については、監査することができない」によって資格がなく、担当は鈴木憲一氏になりましたが、鈴木氏も加茂信用金庫の重要な役職に就任した関係から7月末ごろ辞表を提出、9月31日辞表が受理されたため、結局担当は、後任の監査委員・大竹千明氏(豊田青年会議所理事長)ということになりました。
 請求を提出した3日後の地元新聞「加茂タイムス」(第793号)に「秋本市議が返済を申し出」という見出しで「監査請求に賛意をみせた訳でなく、スジの通らない金と判断したから返済を申し出た。但し、渡久地市議もこういう事実があった時は、事前に話合い善処すべきだ。議員は相互に信頼すべきだ」という旨の発言のあったことが報道されました。この記事が出て数日後、市役所秘書課で偶然秋本議員に会ったので、「返済は本当ですか」とお聞きしたところ「オレは間違ったことは嫌いだから返還してもよいが、他の連中がいろいろ頼みにくるからなー」との返事でした。その時、秘書課の野村光二係長が「佐藤保市長には直接影響はなく、長坂前市長に返済責任がある」というような発言をしたところ、秋本議員は、「佐藤市長に責任がないのならオレは返還しない」と前言をひるがえしました。これは、秋本議員、佐藤市長ともにトヨタ自動車の出身であり、秋本議員は、常日頃佐藤市長を擁護することにつとめていることから来ています。
 こういう経緯の後、昭和39年11月4日に監査委員大竹千明氏から回答を出す、という通知がありました。翌5日、同一監査請求者の鈴村鋼二君が多忙なため私一人で監査委員会室に出かけ、回答を受け取り、当の大竹千明氏に回答書についていろいろ質問をしました。
大竹氏の回答からわかったことをまとめると次の様になります。
 一  報償金は、昭和38年7月4日長坂貞一前市長から、青山宏二総務課長が市政功労者に対する報償金として受け取り、石川佐一外27名に、市議会事務局長加藤正一氏と同じく事務局係長加藤菊男氏がその趣旨を説明して渡した。
 二  実情を聴取したのは、長坂貞一前市長、杉浦勝男、佐野義一、宇野長男、永田喜与志氏ら議員と加藤正一議会事務局長ら数名であった。
 三  この報償金は、議員が議会外活動をしたことに対して支出された。
 四  自費、自弁とは、タクシー代とか日当とか夕食代を自費自弁したということである。
 五  報償金の内容は、あくまでも費用弁償的なものと賞賜金的なものである。

大竹千明監査委員からの回答については、後で私見を書きます。
 監査委員会室を出てからすぐ市議会事務局に行き、加藤正一事務局長に、「あなたは退職金問題で、私にウソをいいましたね」といいますと、「まあそれは、いろいろと事情があるものですから……了承して……」と逃げをうちはじめました。「議会事務局条例施行規則第12条を知っているのか」となじると、驚いた顔になり、やがて「わるかった。あやまる」と頭をさげました。ちなみに第12条とは「職員は議会および委員会の事務に従事するにあたっては、公正を旨とし、誠実にその事務を尽くし公務に奉仕することを本分とする」というものです。
 これで、加藤正一事務局長が議員に報償金という名の退職金を手渡すのに関係したことは明らかになったわけです。加藤事務局長がこの種のウソをいわなければならなかった事情こそ、この報償金が公然とは語れぬ秘密の退職金であることは何よりもよく物語っています。杉浦勝男議長の陰険なとぼけ方についても同じことがいえるでしょう。
 ところで、大竹千明監査委員からの回答とはどんなものかをここで検討したいと思います。
 大竹氏は「この報償金は、豊田市がおこなった工場誘致に議会活動以外に援助協力したことに対する謝意である」といっています。
 それほど重大な援助に対する謝意ならば、当然その表し方はもっと公然としており、例えば表彰式とか感謝状とかが普通のはずです。ところが、私が篠田好美助役(当時市総務部長)に聞いたところ、表彰式もやらず感謝状も出していません。市政功労者に内密に金を渡してその労をねぎらうこの奇妙なやり方こそ、この支出が公正で合法的でないことを自ら証明していると思います。
 また大竹氏のいう「議会外に援助協力」とはいったいどうゆうことでしょうか。もともと議員活動に対しては、それ相当に十二分の報酬と期末手当および費用弁償費が条例にもとづいて支払われています。議会活動以外に議員が市民のために働くのは当然のことであり、その際の夕食代、タクシー代の自弁もまた自明のことです。ことに夕食などにいたっては、活動をしようがしまいが日常食べるのがあたりまえのことです。従来、公費で食べてきたという貪欲な胃袋と、それを許してきた鈍感さが、こういう図々しい発言になったのに違いありません。しかも、彼らのやった議会活動とは、開拓農民の家に出かけて、ここに工場をつくるから離農せよ、といった類のものが多かったのです。この公権をカサに着た土地ブローカーめいた活動は悪い影響を残しました。それが証拠に、工場誘致で味を覚えて土地不動産を動かしている議員を何名も数えることができるのです。
 更に大竹氏は「豊田市発展のためにつくしたお骨おりに対する経費の一端として出したのだ」といっています。これは、長坂貞一前市長の聴取書の「費用弁償的支出として」が根拠になっていると思われます。もしこれが費用弁償なら、きわめて奇妙なことになります。まず、一律2万円というのは変です。議員各々の働きも違っているはずですから、一律になるはずがありません。また、支給するなら、どうゆうものにと給付の対象が明確でなければならないはずです。こうゆうあいまいなことで費用弁償を支払ってくれるのなら、日頃ドブ掃除をしている市民達が、市の公衆衛生管理に協力したのだから一律いくらいくら支払えと要求することも可能です。地元に幼稚園を建てることに尽力した議員が、市のために働いたのだから金をよこせとふっかけることもできるでしょう。豊田市には、地方自治法第203条の規定に従って、報酬、期末手当、費用弁償を支出するために「豊田市報酬額および費用弁償額に関する条例」があり、費用弁償には「職務のために旅行した時は、それに要した経費を償うために支出する金銭」として詳しい分類があります。退職議員はこの規定の意味の義務を執行し、支払いを受けたのでしょうか。このことに関して大竹監査委員は、はっきりと「工場誘致事業の遂行にあたって石川佐一外27名が本来の議会活動とは別に、日夜非常な援助協力……」と言っていることからも明らかなように、条例にいうところの職務執行ではありません。はっきり費用弁償といわず費用弁償的と言葉をにごらせたのは、違法な支出に対するひけ目と巧妙なカモフラージュだと思います。
 また、大竹監査委員は「石川佐一等が議員であったからとか、議員をやめるからとか言う理由で支給したものでないことがわかりました」といっておりますが、石川佐一氏等は昭和38年4月まで豊田市議会議員であったことは厳然たる事実ですし、それに関係ない支給ということになれば、報償金として2万円をもらう資格のある市民が沢山いるはずです。
 次の表を見ていただきたい。これは昭和31年から昭和38年までの、当市一般会計9款1目自治振興費2目需用費8節報償金の推移一覧表です。

報償金推移表(決算 円)
昭和31年 96.520円
昭和32年 105.880円
昭和33年 150.990円
昭和34年 504.100円
昭和35年 110.440円
昭和36年 265.460円
昭和37年 196.920円
昭和38年 660.500円

4年毎に、つまり議員の退職期毎に報償金が一躍4倍にはね上がっている。この奇妙な推移表は、報償金が名を変えた退職金であることの、逃れがたい証左であります。大竹監査委員の言葉をつくしたいっさいの弁明も、この表によって一挙にくつがえされるでしょう。
 このように、大竹監査委員の回答はまったくのこじつけであって、法律にもとづき誠実になされたとは、とうてい考えられないデタラメなものだと私は思います。
 以上のことから、私はこの報償金が退職金であることは間違いないと確信します。自治省行政実例(昭和38年1月30日)では、名目上記念品として支出されたものであっても、当該支出が実質的に退職手当に類するものと認められる限り違法であるとしていまし、退職した豊田市議会議員に1人当り2万円支出したのは、豊田市報酬額および費用弁償額に関する条例の報酬、期末手当、費用弁償のいずれにも該当しないばかりか、その他の法律または条例にもとづく給付でないことも明らかであり、またその支給の趣旨、態容、金額、人員等の点からみても、報償の概念からははずれるもので、弁明の余地なく地方自治法第204条の2に違反するものと考えます。
 以上が訴訟におよんだ理由とその経過ですが、最後に、地方政治に対する私の基本的な考えを書いてみます。
 国全体の民主主義は、末端の民主主義で支えられ発展させられるべきであります。ところがその役割をになうべき地方自治体とその議会の現状は、退職金問題一つとっても明らかなように、目をおおわしめるありさまです。この問題や更に報酬のお手盛り値上げに見られるとおり、市民を無視した議員の特権意識が横行し、その根強さは、私たちがこの夏行った運動に直面してさえ、なお反省の色が見られぬほどです。かかる状態が続けば、市民は、議会や自治体には見向きもしなくなり、政治的無関心のよどんだ空気が地方をおおうのはそう遠い将来のことではありません。これこそ地方自治そのものの危機であり、ひいては国全体の民主主義の危機であります。この危機への進行は、いつかだれかによって食い止められなければなりません。私はその任を自らに課したいと思います。私のこの訴訟を、市の理事者や議員と私の勝負とは考えていません。私はこれを、市の理事者、議員とそれに私を含めての、地方自治とその民主主義が滅びるか滅びないかを問われている重大問題だと考えています。