■ 中国青海省の旅め2011年9月1日〜7日
N「草原情歌のふるさと」2011-10-22■

中国・青海省訪問記 2011-10-22掲載

中国 青海省西寧市・門源市・西海鎮AND西安市 訪問記
              渡久地 政司(TOGUCHI MASASHI)

豊田市TIA 中国語学習グループ “歩歩高“ に同行して
2011年9月1日〜7日


地図=中国・青海省、西寧市から北→門源県泉口鎮。西→西海鎮

9月1日(木)
○ 豊田市TIA 中国語の学習グループ”歩歩高”  中国・青海省学習旅行に同行。
○ 午前6時名鉄トヨタホテルから中部国際空港へ。9時20分発北京行き、11時55分北京着。16時35分青海省西寧空港着。
○ 夕食は、民間人宅。都心の繁華街と中央官庁、大広場に接近している高層マンション。ここの窓からの夜景が実に素晴らしい。イルミネーションをほどこした青海省博物館は、豊田市の小島プレスが寄贈した(写真)。
○ 家長の義母(74歳)には、長老としての品格を感じた。家族あげての大歓迎・もてなしであった。それには、われわれ一行の団長格の石川俊秋氏(鴛鴨町)が、ここの家長と長年にわたる友好のつみかさねがあった。
○ 宿泊ホテルは、青海穆斯林(MOSLEM)大厦=西寧市七一路65号。  
○ ムスリムマンション12Fが部屋。豪華な装飾になっているが耐用年数を過ぎており、電気配線の不備で電気スタンド、たちスタンドとも点灯できず。水まわりも悪く、トイレの水が流れなかった部屋もあった。窓からは電飾されたムスリム寺院の屋根がみえる。眼下には、「西寧市暁泉小学」とあり「創特色名校」「育世紀英才」とあった。すなわちエリート校を目指している。

9月2日(金)

○ 青海穆斯林(MOSLEM)大厦を出発、小雨。
○ 西寧市の中心にある大広場で、団員の女性が習字の練習に飛び入り、ふと筆で文字を書く。中国人も感心して…。
○ 西寧市から北方の門源市へ。途中、トンネル(大坂山隋道の手前に標高3792.75bの標識。富士山より高い。この峠(ここで記念の石を採取)を越える。高山病のため耳鳴り、頭痛を訴える会員もでた。
○ トンネルをくぐりぬけると景色が一変すると案内者。説明によれば、祁連山脈の間の盆地状の丘陵地一面に菜の花が咲く7月から8月は、菜の花がきれいさだけでなく、香りまでただよう、とのこと。中国、今青海観光ブーム、夏期はクルマの渋滞が発生する、という。
○ 門源市は高等学校が設置されているくらいの大きさ。ここを抜け、並木道を20分くらい走ったところに目的地・青海省門源泉口鎮
○台村。ここの農家を訪問。

○ 農家で大歓待をうける。一族こぞっての中国家庭料理をふるまってくれた。それも2戸も訪問した。名残りはつきぬが本日中に西寧市に戻らねばならない。
○ 農家には、ベランダのようなところに総ガラス張りのサンルームがどこの家にもつくられていた。冬期、洗濯物を干すこともできる。ただ、トイレは居宅から15bくらい離れ たところにあるので、どのように使用するのだろう。お尻をだせば凍えてしまうのではないか。
○ 夕刻、西寧市にもどり、再び初日訪問したS家へ。9月2日がI氏の61歳の誕生日、祝いをケーキ付きで盛大おこなう。
○ 深夜、青海穆斯林(MOSLEM)大厦に戻り宿泊。

9月3日(土)

○ 8時30分、青海穆斯林(MOSLEM)大厦を出発。目的地は西海鎮のゲル、しかし予定変更で市街地のホテル。
○ 途中の景色。悲恋の妃の物語のある日月峠(3520b)はあいにくのガス、何も見えない。ここでヤクに乗り、記念写真。峠を越え、砂漠化している地帯を走る。砂丘の遥か向こうに青い「青海湖」が見えた。
○ 予定ではゲルで宿泊することになっていたが、8月末で閉鎖。それに小雨なので西海鎮のホテルに予定変更となる。
○ ゲルの施設内の接待所で昼食会。ここに、中国側から一昨日歓待を受けた家族の一族の病院長や技師も参加。かわいい12〜3歳の少女も父親に同伴。
○ 中国式の歓待の儀式は、小さなお盆に杯を並べ、なみなみと強いお酒をそそぎ、天と地に感謝して2杯ずつ一気に飲む。日本側はI氏が代表して応対。
○ 施設内のトイレはきれい。水は冷たい。気温は日本の11月末の早朝くらい。

○ 西海鎮について解説――青海省北チベット族自治州にある。かつては、原爆・水爆を製造していた秘密軍事基地であったが、今は12.000人の人口を擁し、年間80万人の観光客が訪れる。かつての核兵器基地は、今は生活エリア、政府庁舎、博物館、ホテルなどが整備された観光地となった。
○ 「草原情歌」のCDを購入したい、と要望したところ、いろいろ手配し、歌の発祥記念館へ案内してくださった。先の少女が走りまわり大活躍。元歌の題名は「在那遥遠的地方」。
○ ホテルは、香格里拉賓館(シャングリラ)=西海鎮剛察路64号、きれいなホテル。

9月4日(日)
○ 香格里拉賓館出発。朝食は庶民のものを所望し近くの食堂へ。労働者や若者。油条(ユーチョ=油あげた食品)、おかゆ、まんとう。そばの若者に声をかけると学生、本日は試験、とのこと。料理代金は日本円にして1人30円くらい。
○ 雨降りなので一路西寧市へ。途中、雨の中、湟原具市(10時45分)の丹喝爾城を見学。10元で折りたたみカサを購入。有料トイレを使用。
○ 劇場に入る。題名は「丹喝風」。きれいな民族衣装のオンパレード。
○ 西寧市での夕食は店名「順風肥牛」=西寧市小橋大街45号・金橋酒店3階。
○ 食後、都心の福口街夜店を探索。7時30分ホテル=青海穆斯林(MOSLEM)大厦にもどり、ここで旅の費用の清算をおこなう。

9月5日(月)
○ 4時30分起床、5時出発準備、6時集合。西寧飛行場(XINING AIRPORT)へ。07時08分西安市へ。ここから西安市までは日本人のみの旅。
○ 実はわたし(渡久地政司)は、1981(昭和56)年に訪問していた。大雁塔の500bくらい離れたところに巨大な商業施設が建設されていた。周囲はきれいに整備されていた。
○ 3時過ぎ、足もみマッサージのお店に全員入る。長方形の部屋に並び、足湯から始まる。眠くなる。足湯のマッサージ嬢?に一行の数名が話しかけ、大いに盛り上がる。
○ スーパーマーケットで中国の習慣に従い買い物。買ったものを持ってレジを出たら、再び買い物を持って入れない。また、バックは預かり所に預け、サイフしか持って入れないスーパーもあった。
○ 夕食は、民衆の食事ということで秋林公司の飲食街1階。超満員の中で7人分の席を確保。そして、隣に居合わせた中国の若者と片言の中国語で話しかける。日系企業・ニコン(カメラ)で働く若者にカンビールをさし入れ、大いに盛り上がる。
○ 西安市でのホテルは、陜西金座大酒店(3つ星)=西安市雁塔路北鈴78号。

9月6日(火)

○ 8時30分、陜西金座大酒店出発。市内観光へ。旧市街地はそのままに保存し、郊外に高層ビル群を林立させている。このホテルの眼下には4車線の道路が走り、旧城内の南東にある。
○ 秦始皇帝兵馬俑博物館、華清池、青龍寺を見学。華清池では、西安事件の現場・捉蒋亭の見学はなく、代わりに台湾の高官が華清池を見学した時の写真が掲示されていた。
○ 秦始皇帝兵馬俑博物館の周囲はかなり整備され、博物館まで1`くらい歩く。敷地内の高級接待所(喫茶店)で日本円換算800円くらいのコーヒーを飲む。
○ 青龍寺は空海ゆかりの寺。旧跡の寺を再建したもの。この寺は日本と中国両国仏教会の共同出資で建てられた。
○ 6時30分、陜西歌舞大劇院(食事付き)で「唐楽舞」を観劇。8時開演。題目 1.華清宮 2.舞踊 3.排筝独奏。解説は中国語と英語。日本語はない。

9月7日(水)
○ 気流の関係で出発時間が約1時間のびる。飛行機はCA1232。変更の告示はゲイト横に張り出される。アナウンス放送は中国語と英語。これはさっぱりわからない。12時28分飛行機が動きだす。
○ 午後1時48分、北京国際空港に着陸体制に入り、窓から下を観察。道路は整備されており、農村集落も規格化されている。2時07分北京空港に着陸。
○ 石川俊秋氏は、北京空港で一行と別れ、西寧空港にもどりました。
○ 中部国際空港には午後9時30分着、10時05分豊田市行きの最終バスにまにあう。夜空には月。安堵する。
○ みなさま ありがとうございました。